※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
レスリング班へ進む鶴田峻大
この春、その再現を目指す選手が体育学校レスリング班に加わる。全自衛隊大会の86kg級に出場し2位となった鶴田峻大(第12普通科連隊)。沖縄・沖縄尚学高時代に柔道で九州3位などの成績。卒業後も柔道を続けたくて昨春、自衛隊に入隊。集合教育を受けていたが、残念ながら柔道の枠は埋まってしまった。
競技断念の状況だったが、レスリング班から「レスリングに向いている体型だ」と声がかかった。「まだ自分の能力を発揮し切れていない。自分の可能性をもっと追求してみたい」と、畳をマットに変えてオリンピックを目指すことを決意した。
レスリングの練習期間は約3週間。決勝では2011年世界選手権(トルコ)の男子フリースタイル74kg級代表の高橋龍太(練馬駐屯地)に2-8で敗れたが、最後はあわやフォールに追い込むシーンもあり、高橋に「危なかった!」と言わしめた力を発揮した。 決勝で元世界選手権代表と闘う鶴田峻大
柔道選手がレスリングをやる場合、「つかむところがなくて、やりづらい」と口にするのが普通。鶴田も同様で、「つかめないのはきつかった。慣れるまで大変だと思います」と覚悟している。この大会はフリースタイルなので脚を使っての攻撃ができ、柔道技も活かせたが、今後やるのはグレコローマン。足払いなどはできない。その点でも「まだ不安があります」と言う。
取り組むことは多くあるが、4月の体育学校入校を経て、同25~26のJOC杯ジュニアオリンピック(神奈川・横浜文化体育館)での本格デビューへ向け、レスリングへのコンバートに全力で打ち込む予定だ。。
約45年前、体育学校レスリング班には、自衛隊員ではなかったが(中大在籍、のちにレスリング部へ)、「鶴田」という名前の選手が汗を流していた。稀な才能を持ったその選手は、1年数ヶ月のキャリアで全日本王者に輝き、2年半でミュンヘン・オリンピック出場を果たした。その後、闘いの場をプロのリングに移し、「ジャンボ鶴田」として一世を風びした。
自衛隊に“第2の鶴田”が誕生するか。オリンピックへの道が開けるかどうかは、今後の努力次第だ。