※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文・撮影=増渕由気子) 霞ヶ浦戦で4勝目を挙げた山崎弥十朗(青)
野口篤史監督が監督に就いたのは1989年からで、就任当時はすでに霞ヶ浦の天下だった。「団体戦でこれまで霞ヶ浦に勝ったことがなかった。今日初めて勝ちました」と信じられない表情を浮かべた。
■決勝戦のような雰囲気の中で行われた霞ヶ浦戦
3年生が抜けた現在のメンバーでは、最重量級(120kg級)が不在で、6人の布陣。しかし、霞ヶ浦戦での勝機はあった。昨年のユースオリンピック男子フリースタイル74kg級で金メダルを獲得し、国内で全国高校選抜大会、JOC杯カデット、インターハイ、国体と4つのタイトルを獲得した84kg級の山崎弥十朗や、昨年の全国高校選抜大会55kg級2位の吉村拓海らが最終学年に在籍していることに加え、霞ヶ浦の74kg級が棄権して6階級同士での闘いになったからだ。
第1試合から両チームとも決勝戦のような雰囲気で行われた。埼玉栄は50kg級の宮原潤、55kg級の宮内滉平と連敗でのスタートとなったが、60kg級の吉村が6-2と吉田アミンを振り切ると、流れは埼玉栄へ。66kg級の尾形颯も勝って白星を2-2に戻した瞬間、埼玉栄の4勝目がほぼ確実となった。
74kg級は不戦勝となりチームスコアは3-2。4勝目に王手をかけ、満を持して不動のエースの山崎がマットに上がったからだ。 決勝で殊勲の白星を挙げた宮原潤(赤)
■オリンピック金メダリストの長男が殊勲の白星
勢いそのままに決勝まで駆け上がった埼玉栄。決勝の相手は昨年のインターハイ王者で、県予選では2-5と負けていた花咲徳栄。同校もけがなどでベストメンバーが組めず、決勝では66kg級の中村剛士が棄権。埼玉栄と同じ6選手同士で闘うことになり、ここでも勝機は十分にあった。
同県で姉妹校同士。手の内を知りつくしている両者に必要なものは、番狂わせだった。それを埼玉栄の50kg級、宮原潤がやってのけた。宮原は、1984年ロサンゼルス・オリンピック金メダリストの宮原厚次・自衛隊前監督の長男。サラブレットの血筋を持つが、「高校からレスリングを始めた初心者」(野口監督)だった。
準決勝までの3試合は全敗し、決勝戦もリードを許して終盤に突入した。ここで、スタンドからの投げと連続ローリングをかけて13-10と大逆転。高校まで野球少年だった宮原が白星を挙げたことで埼玉栄陣営は大盛り上がり。 けがから復帰したばかりの吉村が決勝で終了とほぼ同時に逆転
■ベストメンバーではなかった花咲徳栄、全国大会が勝負
60kg級の吉村は10月に右足の甲を骨折し、3ヶ月ほど戦線離脱していた。吉村は「国体、関東予選、JOC予選と3試合も出られなかった。みんなに迷惑をかけた」と声を震わせて悔しさをあらわにしたが、66kg級の尾形は「気持ちが一番強いのは吉村だった」と、復帰明けで奮闘したチームメイトをねぎらった。
宮原と吉村の2人が逆転時に使った技は、いずれもグレコローマンの技だった。野口監督は「最近は二世選手が増えていて、保護者の方が土日に練習に来て、生徒たちに技を教えてくれるんです」と話す。宮原・自衛隊前監督や、グレコローマンの全日本コーチでもある元木康年さん(自衛隊)など、そうそうたるメンバーが埼玉栄のマットに立っている。こうした指導者から直接指導を受ければ、選手たちの技の数も増えることだろう。
37年ぶりの優勝を果たしたが、胴上げもなく、歓喜の涙のようなシーンもなかった。野口監督は「花咲徳栄はベストメンバーではなかった。3月の全国選抜大会に向けてやることは、己磨きですね」と優勝に浸ることなく精進することを誓った。