※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文・撮影=保高幸子) 前田翔吾(クリナップ)
昨年の60kg級王者で今年のアジア大会(韓国)同級で銅メダルを獲得した高塚紀行(自衛隊)、昨年66kg王者でアジア大会代表の石田智嗣(警視庁)、世界選手権(ウズベキスタン)7位の高谷大地(拓大)、昨年66kgで世界9位となった井上貴尋(三恵海運)と、オリンピックの代表候補が勢ぞろい。熱戦が続くことは必至の情勢だ。
優勝候補に目される一人、前田翔吾(クリナップ)のオリンピック出場にかける気持ちは、出場選手の中で最も切実ではないだろうか。前田は初出場となった2009年世界選手権(デンマーク)60kg級で5位に入賞し、ロンドン・オリンピックのホープと目された選手。その直後、チーム事情で大会出場ができなくなり、所属を転々とすることになってレスリングに集中して取り組めない時期を迎えた。
スランプからやっと復活を遂げたのは、先輩でありライバルの湯元健一(ALSOK)が2011年の世界選手権(トルコ)で3位となり、ロンドン・オリンピックの出場枠を獲ったあとだった。“湯元が優勝したらオリンピック代表に決定”という2011年全日本選手権で、感涙の復活優勝。自身が湯元を破ったわけではないが、湯元のオリンピック代表決定が宙に浮き、自身のオリンピックへの道がつながった。
だが、遅すぎた。4か月後の代表決定トーナメントでは、本戦で湯元を破ったものの、プレーオフで惜敗。オリンピック出場枠を獲得した湯元に与えられたアドバンテージに及ばず、オリンピック出場を逃した。 2013年世界選手権で痛恨の負傷、戦線離脱
オリンピックの4ヶ月前まで日本代表の座を争い、最後で逃した前田。「4年間はあっという間だということは、前回でよく分かっている」と、リオデジャネイロ・オリンピックに向けては、ロンドン・オリンピック直後から全開モードでレスリングに取り組んだ。
昨年、4年ぶりに日本代表に返り咲き、2度目の世界選手権(ハンガリー)に向けて調子を上げ、男子チームのメダル最有力候補と期待されていた。しかし3回戦のウラジーミル ・デュボフ(ブルガリア)との対戦でエビ固めを受けて左脚を負傷。試合続行できる状態ではなく、棄権を余儀なくされた。
診断の結果、医師に言われたのは「(戦線離脱は)1年」-。不安にならなかったといえば、うそになる。しかし、前田にはオリンピック出場の夢があった。1年なら、オリンピック予選には間に合う。あきらめず治療を続けた。
治療中の昨年12月、新たな試練が降りかかった。国際レスリング連盟(FILA=現UWW)の決定により、階級区分が変更されることになった。60kg級でやっていた前田にとっては、61kg級が適正階級だが、同級はオリンピック非実施階級。オリンピックを目指すため、一気に65kg級にすることを決めた。
けがは、1年を待たずに今年6月の全日本選抜選手権に出場するまでに回復したが、大きな手術を経たことで以前と同じようには動けず、新星・高谷大地と田中幸太郎(阪神酒販)に敗れて4位。けがは“完治”と言えたかもしれないが、体が思うように動かなかった。
「手術をした人がよく言うことですが、まるで自分の体ではないように感じるんです」。初めての経験だった前田は、この時点ではまだ「前の自分に戻りたい…」ともがいていた。
■“新しい前田”とロンドン代表のロシア選手と互角の試合 全日本選手権へ向けて練習する前田
数ヶ月ではあったが気持ちを固めて準備し、出場してみれば2位。決勝はロンドン・オリンピック66kg級代表のアラン・ゴガエフ(ロシア)に3-3のラストポイントによって敗れた内容で、新しい前田スタイルが通用することを確認できた。「もう迷いはありません」と言う。
不安を抱えながらも前を向き続けた前田。その強さの根源は、ロンドン・オリンピック出場を逃したことにあるのかもしれない。「ロンドン出場をあんな風に逃したからこそ、この天皇杯(全日本選手権)がどれだけ重要か、他のだれよりも分かっています。同じ失敗はしない」と、静かに、しかし強い口調で自分に言い聞かせるように話した。
今回の全日本選手権、そして来年6月の全日本選抜選手権を勝つことがオリンピックへの一番の近道。3年前の反省をいかして、今度は“ストレート当選”を目指す。
「僕はほかの選手よりいろんなものを背負っています。2度とチャンスは逃しません」。全日本選手権での前田の“覚悟のレスリング”を期待したい。