※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=樋口郁夫、撮影=矢吹建夫) 10年以上の期間をかけて全国一に輝いた小柴亮太(佐賀・鳥栖クラブ)
小柴は「とてもうれしい。準決勝が一番厳しかった。タックルに入られてからの処理がうまくいって勝つことができた」と、昨年の42kg級チャンピオンで、今年6月の全国中学生選手権同級でも勝っている服部大虎(茨城・水戸スポーツ少年団)を撃破できた勝因を分析。「ここで勝って、決勝はかなり気が楽になって闘えた」と振り返った。
大会前の予想では、服部が優勝候補の筆頭。全国中学生選手権47kg級で2回戦敗退だった小柴を推す声はなかった。それもそのはず。これまでの全国大会では、決勝はおろか、ベスト4に入ったことすらない選手。キッズ時代も目立った成績はなく、二世選手だということ以外、注目度はほとんどなかった。
初の決勝のマットは「それほど緊張はしなかった」と言う。準決勝で優勝候補を破ったこともその要因だろうが、鳥栖工高に加わっての練習で自分の力が伸びていることを実感している理由も大きいようだ。中学に入ってから高校の練習に加わるようになったが、最近体力がつき、高校生と互角近い練習ができるようになった。「自信をもって臨むことができました」と言う。 現役時代の父・健二さん
「小学校の時は1年下、2年下の選手にも負ける子だったんです」とのことだが、「子供ごとに成長の過程が違うので」と、ハードな練習を強要することはなかった。「(力を発揮する)タイミングがあります。焦ることはないと思っていました」と、目先の勝利にこだわらず、長い目での指導が功を奏した形だ。
■父の人脈でオリンピック選手からも指導を受ける
幼稚園の年少からレスリングを初め、中学生の3年生途中までにこれといった実績がない状況では、自分の実力に限界を感じてもおかしくはない。小柴は「先輩に、中学時代に高校生に混じって練習をやり、力をつけて全国チャンピオンになった人がいたので、自分も頑張れば全国を取れると思っていました」と言う。 決勝で闘う小柴
父は日体大や自衛隊で活躍し、1998年アジア大会(タイ)銀メダルを筆頭に、学生二冠、全日本王者などの成績を持つ名選手。強豪だった父を持つ二世選手には、父の実績と比較されてしまう宿命がある。だが小柴には、そのことでの重圧はなかったという。むしろ、「父のおかげ(人脈)で、多くの先生の指導を受けることができ、オリンピック選手からも教えてもらうことができましたので、ありがたかったです」と、プラス面が多かったことを強調した。
父はオリンピックへの出場はならなかった。当然、父の果たせなかった夢を追うつもりだ。「オリンピック出場を目指したい。高校では、1年生で、とは言えませんが、全国大会で勝てるよう頑張りたい」と希望を話す。長い目で育ててきた父も「いきなり勝つことがなくてもいい。自分で考えて闘える選手になってほしい」と、自立して闘える選手になってくれることを望んだ。