※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
ありし日の村田恒太郎氏
通夜は19日(日)午後6時、告別式は20日(月)午前11時、ともに東京都新宿区上落合3-4-12、最勝寺会館(電話03-3360-2580)で行われる。喪主は長女・佳寿子さん。
村田氏は、創部して数年後の明大でレスリングを始め、1942年に主将へ。同年の全日本選手権のフェザー級で優勝した。太平洋戦争によって選手活動を中断したものの、終戦によって再入学し、選手に復帰。1947年にもフェザー級で全日本チャンピオンに輝いている。
一方、発足したばかりの関大の監督に就任し、西日本レスリング界の発展に尽力した。
その後、レスリング界を離れた時期もあったが、1983年には日本協会の理事長(現専務理事)に就任。翌年のロサンゼルス・オリンピックで、富山英明選手(現日本協会常務理事)が開会式にカメラを持ち込んだことで日本選手団本部からとがめられるトラブルが起きた際、本部役員と真っ向からやりあい、富山選手を守った。
理事長は1986年度まで務め、後進に道を譲った。ご家族の話によると、10年前に肝臓がんの手術を行い、完治したものの、このたび再発したとのこと。入院することもなく、直前まで体はしっかりしていたという。