2014.10.14

【押立杯関西少年少女選手権・特集】レスリング王国復活の起爆剤になるか…鹿児島クラブ

※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。

 今年の押立杯関西少年少女選手権の最遠隔地からの参加は、約900km離れた鹿児島県から新幹線で来た鹿児島クラブ。宮田勇樹代表は仕事の都合で同行できなかったが、坂元伸二コーチが3選手を連れて参加した。

 鹿児島県のレスリングと言えば、かつては鹿児島商工高(現樟南高)が全国一に輝き、オリンピック選手をのべ15人輩出しているなど、レスリング王国と言える県。だが、少年少女レスリングは盛んではなく、鹿児島市にはキッズクラブが根付かなかった。

 鹿児島クラブが創立されたのは2010年。樟南高のレスリング場を使い、週1回、日曜日に練習をやっている。宮田代表は、“オリンピック選手製造機”加治佐正昭監督が退任され、児島誠監督になってからの第1期生。徳山大でレスリングを続けたあと、地元へ戻って樟南高のコーチへ。昨年の全日本選手権(男子フリースタイル74kg級)にも出場した現役選手だ。

 今回引率した坂元コーチは、1988年に鹿児島商工高を卒業し、自衛隊体育学校でレスリングを続けた元選手。けがのため3年で地元へ戻り、長らくレスリングとは縁のない生活をおくっていた。レスリングに戻るきっかけは、母校で高校生の大会があって応援に行き、「弱いなあ…」と思ったこと。

 自分の時代と比べてということであり、時に全国大会に出場するのだから、決して弱くはないのだが、もどかしい気持ちがレスリングに目を向けることになった。キッズクラブの練習を見るようになり、甥(おい)と姪(めい)がレスリングをやりたがっていたこともあって、コーチとして本格的に携わることになった。強豪チーム~自衛隊と進んだだけに、「(レスリング活動は)しばらく空いてしまいましたが、体は覚えていますね」と言う。

 自身はキッズレスリングの出身者ではない。自衛隊でレスリングをやっていた時、レスリング場でキッズクラブ(和光クラブ)が活動していたが、自分のことが精いっぱいで携わってはいなかった。キッズを手掛けるにあたって戸惑うこともあっただろうが、熊本県のタイガーキッズの坂口秀春代表が自衛隊の先輩であり、何かとアドバイスをしてくれて心強かったようだ。この大会も坂口代表の誘いによるものだという。

■子供たちの成長を見て、うれしさを感じる

 部員は約15人。大型免許を持っているので、九州内の大会や合宿はマイクロバスを借りて遠征に行く。今夏は初めて全国大会に出場。鹿児島商工高や自衛隊時代の同僚・先輩とも会い、かつての血が騒ぎ出した。「九州内だけの練習では駄目」と、全国大会に続いてこの大会にも参加した。さすがに鹿児島から大阪までバスを運転するわけにはいかない。経費との兼ね合いもあって、毎年、全選手が参加するのは無理がありそうだが、全国レベルに追い付くために必死の毎日だ。

 練習は日曜日の1回だけ。「強くなるには、もう少しやりたいのですけどね」と言いつつ、樟南高の練習が終わってからの練習では夜遅くなってしまい、難しいのが現状。そこで、「強くするより、レスリングを好きになってくれる練習を心がけています。『来週、また来ます』と言ってくれる練習をやり、負けても努力を忘れない選手を育てていきたい」と話す。

 さらに「中学や高校で燃え尽きてしまうのではなく、そのあとも続けてくれる指導をしたいです」と言い、「礼儀、あいさつができる選手を育てることは、言うまでもありません」と付け加えた。

 クラブを見るようになった最初は、地方の大会であっても1人も勝てずに帰ることもあったというが、最近はメダルを取る選手も出てきた。「子供たちの成長を感じ、うれしさを感じることです」と言う。「鹿児島には鹿児島レスリングクラブがある、ということを浸透させていきたいです」と、焦ることなくチームを育てていくつもりだ。

 選手を育てて母校に送るとともに、今の低中学年は時期的に無理だが、「6年後に予定されている鹿児島国体に選手を送ることができればいいな、と思っています」と希望を話した。