※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=増渕由気子、撮影=保高幸子) 枝迫興一郎・神奈川県協会理事長
神奈川県協会の枝迫興一郎理事長(神奈川・釜利谷高教)は「毎年JOC杯で全国規模の大会を行ってきました。いつも通り滞りなくやってきました」と満足げに話した。
■国士舘大の黄金時代にオリンピック金メダリストらと汗を流す
神奈川県ではこれまでインターハイのレスリング競技を開催したことがなかったため、今回の開催に至った。開催にあたり、1998年かながわ・ゆめ国体で実践した華美でない国体を見習って、今回も必要最低限の設備で、滞りのない運営を心掛けた。
横須賀市は都心から快速で約1時間とアクセスはいい立地だったが、都会ならではの問題も多かった。枝迫理事長は「一番の問題は駐車場でした。横須賀市は土地が平らではなく、道路も細い。駐車場も少ないので、その確保をすることが大変でした」。最終的には、一般市民の協力を経て、全施設を貸し切って駐車場に困ることがないように手配した。
インターハイを自分の教師人生の集大成のように壇上から見つめた枝迫理事長は、今年60歳で、教師として節目の年だった。鹿児島県生まれの神奈川県育ちで、横浜高校レスリング部出身。国士舘大学に進学して滝山将剛監督のもと、1976年モントリオール・オリンピック優勝の伊達治一郎氏、同3位の荒井政雄氏らとともに練習に励み、57kg級で活躍した。 大会役員とともに地元選手に声援を送る枝迫理事長(右端)
その後、六ッ川高(現横浜国際高)、磯子工高と10年ずつ勤務し、それぞれレスリング部を立ち上げた。磯子工時代には、のちに全日本選抜王者になり、アジア選手権代表選手にまでなった峯村亮(現神奈川大職)を育てあげている。
現在は、クリエイティブスクールとして注目を浴びている釜利谷高に勤務。ここでは女子の指導にも力をいれ、2年前には、第1回関東高校女子選手権の開催に尽力。神奈川県でレスリングの種をまき続け、男女ともにレスリング競技のすそ野を広げた。
■レスリングに情熱を捧げた理由は、「レスリングに育てられたから」
レスリング競技の拡大に尽力した理由を、枝迫理事長は「レスリングに育てられたから」と説明し、恩返しの気持だったことを強調した。教師になりたての20代、神奈川県でのレスリングの知名度の低さにがく然とした。「家族ぐるみでレスリングに取り組んできた選手は、レスリングが自由にできる環境で育って、どこでもレスリングができると思っています。けれど、レスリングは、多くのスポーツの中のひとつでしかないのです」と言う。 昨年に引き続き女子も参加したインターハイの開会式
この思いを胸に約30年間、赴任先でレスリング部を作り、選手を育て、指導者を増やし、県内でのレスリングの地位向上に努めてきた。現在は全国高体連レスリング専門部の副理事長を務めて、インターハイ女子参入にも力を尽くした。
60歳で定年を迎える枝迫理事長だが、再任用の制度を使って来年も教師を続ける予定。そのモチベーションは“レスリング”。「女子を何とかしなければならない」と目標を掲げた。確かに、吉田沙保里選手(ALSOK)の存在など、一般的には知名度が高そうに思える女子レスリングだが、インターハイも昨年から始まったばかりで、国体も現在は男子のみ。
女子レスリングの地位向上、そして第2、第3の吉田選手が出るためにも、その環境を整えなくてはならない。「日本協会でも理事を務めさせていただいています。レスリングをメジャーに近づけられるように気持ちを注いでいきたいです」と枝迫理事長。地元でのインターハイは終わったが、引き続き、レスリング地位向上のために尽力することを誓った。