※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=樋口郁夫、撮影=矢吹建夫) 5人の新入部員を得て二部優勝を果たした東海大
東海大がこの大会で「優勝」を成し遂げたのは、現在とはシステムが違うが、1976年大会の二部リーグ優勝以来。実に、38年ぶりに表彰台の一番高いところに上った。来季ハ2000年以来、15年ぶりに一部リーグで試合を行う。
平野博一監督は「うれしい。学生たちの頑張りの成果です。私は端で見ていただけで、学生たちが自主的に練習をやってくれたおかげです。この感激を部員全員とともに喜びたい」と優勝の第一声。勝因は「林(宏信)主将にみんがついていったこと。やらされた練習ではなく、自主的な練習を続けてきたことだと思います」と分析した。
監督の職業は自営業で、時間をやりくりして毎日練習に参加してきた。しかし、10数年前にスポーツ推薦制度がなくなり、入学後に自主的に入部してくれたレスリング未経験者に対しての指導には限界があった。学費を稼ぐためにアルバイトしなければならない事情の学生もいた。そんな苦難の時期を乗り越えての栄冠に、感慨もひとしおといったところだ。
東海大はかつて一部リーグで闘い、オリンピック選手も輩出したチーム。平野監督も新人選手権2位という記録を持っている。スポーツ推薦制度がなくなったことで、2000年代に入ると部員不足で青息吐息。リーグ戦に必要な4選手がそろわずに不参加を余儀なくされたことがしばしばあり、レスリング場の“没収”という話もあった。部の存続が危ぶまれる時代が続いていた。 存続が危ぶまれた部を立て直した林宏信主将
こうした新風に後押しされて先輩も奮戦。「前向きの気持ちがありました。試合では、実力は相手が上だと思っても、スタミナで勝った試合もあった」と、勝利へ向けての粘る姿勢を評価するとともに、「一部リーグでの試合は大変になると思う。一から鍛えなおさないと失礼になる」と、あらためての強化を宣言した。
■「やるしかないよね」と、寸暇を惜しんで指導した平野翔子コーチ
コーチの一人に、平野監督の愛娘で、全日本女子オープン選手権で優勝した経験を持つOGの平野翔子さん(同大学職)がいる。4年生の時、当時1年生だった林宏信・現主将から「優勝したい」と言われ、「やるしかないよね」、仕事の後や有給休暇を使って積極的に練習に参加し、チームを育ててきた。優勝決定後は、「2人だけの練習という時もありました。ゴールデンウイークも、どこにも行かずに練習に参加したかいがありました。夢をつかむって、こういうことなんだな、という気持ちです」と涙ポロポロ。「自分の試合でもこんなに感動したことはありません。みんなには、本当にいい思い出をつくってもらいました」と続けた。 試合を見守る平野博一監督(右端)、三宅靖志さん(カメラ姿)、平野翔子コーチ(セコンド)
「一生懸命にやりたい、という気持ちは一緒だったと思います」。そんな思いが、うれし涙につながったのだろう。来年、一部で闘う選手に対し、「今までは(一部の選手が)あこがれだったと思う。これからはあこがれではなく、自分たちが倒すという気持ちで頑張ってほしい」とエールをおくった。
マットサイドには、OBで1996年アトランタ・オリンピック代表の三宅靖志さんの姿があった。「メンバーがそろわない時期もありましたが、平野監督や平野コーチの尽力でやっと形になりました。本当にうれしい」と母校の快挙にうれしそう。「ここまで来たのなら、さらに盛り上げていきたい」と、今後のいっそうの飛躍を期待した。
三宅さんは、高校時代は柔道の選手。大学進学後にレスリングを始めてオリンピック選手にまで成長した。スポーツ推薦がない状況下では、レスリング未経験の選手の踏ん張りに期待がかかるところだが、「柔道経験者に対しては、何らかのアドバイスができると思う」と話し、全面的な協力を口にした。