※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
65kg級で貴重な白星をマークした金城希龍(国士舘大)
日体大は57kg級の新人、樋口黎(茨城・霞ヶ浦高室卒)を61kg級で起用し、国士舘大の軽量級の要の阿部宏隆にぶつける作戦をとった。国士舘大の和田貴広監督は「意外だった」と話し、阿部に樋口対策はさずけていなかったもよう。そのせいもあって黒星を喫し、57kg級から2連敗と最悪のスタート。
日体大は早大戦でも軽量級から4連勝して一気に試合を決めていただけに、この時点でその再現も予想された流れとなった。しかし65kg級の4年生、金城希龍が川瀬克祥を6-6ながら内容差で破り、貴重な白星。流れを変えた。
和田監督は「金城の勝利が何よりも価値がありました」と、この1勝を大きく評価する。74kg級には嶋田大育主将が控え、125kg級も国士舘大の優勢は明白だったので、重量級勝負に持ち込めば勝ち目はあった。軽中量級で勝負を決められたら終わり。70kg級は落としただけに、結果として金城の勝利が値千金となった。
もちろん、86kg級の新人、奥井眞生(和歌山・和歌山工高卒)の踏ん張りも見逃せない。前日の拓大戦でもチームの勝利を決める貴重な1勝をマーク。「1年生だというのに、よくやってくれた」とねぎらった。
奥井眞生が勝ったことで、国士舘大ベンチは早くもお祭り騒ぎ
「リーグ戦で日体大に勝ったのは、いつ以来でしょうか?」と和田監督。1970年代中盤から90年中盤にかけての日体大の黄金時代、日体大のが城に迫る一番手が国士舘大だったが、その後は差をつけられていた。
国士大が勝ったのは1997年大会以来で17年ぶり。最近6年間はブロックが違うなどして対戦がなく、11大会ぶりの勝利となる。その前の1992年大会での勝利の時は、和田監督が3年生の時で62kg級のレギュラーとして出場。6戦6勝をマークしていた。
「そういえば自分が学生の時に勝っています。日大に負けていたので、優勝は日体大にもっていかれましたが…」。自身が経験した打倒日体大がすぐに思い出せないほど、“遠い昔”のことだった。
優勝はなくとも、「最後までベストを尽くして闘います」と和田監督。国士舘大のコーチに戻ってきてから7年目。やっと土壌が肥え、草花が力強く育ちつつある。この1勝は、国士舘大復活へ向けての大きな1勝となることだろう。
■東日本学生リーグ戦での最近30年間の日体大-国士舘大成績 1992年大会で国士舘大が日体大戦勝利を報じる「月刊レスリング」。表紙は和田監督
※—は対戦なし
2013年 | 日体大 | — | 国士舘大 | ||
2012年 | 日体大 | — | 国士舘大 | ||
2011年 | 日体大 | — | 国士舘大 | ||
2010年 | 日体大 | — | 国士舘大 | ||
2009年 | 日体大 | — | 国士舘大 | ||
2008年 | 日体大 | — | 国士舘大 | ||
2007年 | 日体大 | ○ | 6-1 | ● | 国士舘大 |
2006年 | 日体大 | ○ | 6-1 | ● | 国士舘大 |
2005年 | 日体大 | ○ | 6-1 | ● | 国士舘大 |
2004年 | 日体大 | ○ | 5-2 | ● | 国士舘大 |
2003年 | 日体大 | ○ | 7-0 | ● | 国士舘大 |
2002年 | 日体大 | ○ | 6-1 | ● | 国士舘大 |
2001年 | 日体大 | ○ | 7-1 | ● | 国士舘大 |
2000年 | 日体大 | ○ | 5-3 | ● | 国士舘大 |
1999年 | 日体大 | ○ | 4-4 | ● | 国士舘大 |
1998年 | 日体大 | ○ | 5-3 | ● | 国士舘大 |
1997年 | 日体大 | ● | 4-4 | ○ | 国士舘大 |
1996年 | 日体大 | ○ | 6-3 | ● | 国士舘大 |
1995年 | 日体大 | ○ | 5-4 | ● | 国士舘大 |
1994年 | 日体大 | ○ | 6-3 | ● | 国士舘大 |
1993年 | 日体大 | ○ | 6-3 | ● | 国士舘大 |
1992年 | 日体大 | ● | 4-5 | ○ | 国士舘大 |
1991年 | 日体大 | ○ | 7-2 | ● | 国士舘大 |
1990年 | 日体大 | ○ | 8-1 | ● | 国士舘大 |
1989年 | 日体大 | ○ | 6-3 | ● | 国士舘大 |
1988年 | 日体大 | — | 国士舘大 | ||
1987年 | 日体大 | ○ | 6-3 | ● | 国士舘大 |
1986年 | 日体大 | — | 国士舘大 | ||
1985年 | 日体大 | ○ | 7-2 | ● | 国士舘大 |