※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=樋口郁夫)
北村公平(阪神酒販)
北村は2008年、京都・京都八幡高2年生にして高校五冠王者(全国高校選抜大会、JOC杯カデット、インターハイ、全国高校生グレコローマン選手権、国体)に輝き、“超スーパールーキー”だった。2012年の世界学生選手権(フィンランド)で銀メダルを手にするなど、国際舞台でも実力を発揮し始めた。
打倒高谷に必要なことを問われ、「それが分かれば苦労しないのですが…」と苦笑いしながら、「学生時代はレスリングができるのが当りまえの環境でした。今後は社会人として仕事をしながらレスリングをやっていく。その気持ちがプラスになるんじゃないかな、と思っています」と、社会人としての自立を実力アップに役立てていく気持ちを表した。
■目指すメダルは、断じてアジアの銅メダルではない!
学生を卒業して社会に出るにあたり、就職は極めて重要な問題だ。どんな分野に進むにせよ、経済基盤が安定していなければ自分のやりたいことには打ち込めない。レスリングを本格的に続けようとする選手にとっては、収入や身分の安定とともに、レスリング活動がどの程度できるかの問題もある。すんなりと決まらない場合も少なくない。
北村はレスリングを続ける意思があったものの、思うような就職口がなく、なかなか進路が決まらなかった。「不安は大きかったですね。周囲は、レスリングを続ける人も、そうでない人も、次々と内定をもらっていく中、自分は決まりませんでしたので、焦りはありました」。 2013年アジア選手権で闘う北村。銅メダルを獲得した
北村も「アスナビ」に登録。先輩が内部からプッシュしてくれたこともあり、4月中旬、無事に就職が決まった。「やっとレスリングに打ち込める環境になりました」と胸をなでおろす。
その時期、そんな北村を刺激するニュースが入ってきた。前述の通り、アジア選手権で山中が銅メダルを取ったことだ。「悔しいニュースでしたね」。ライバルの快挙を、我関せずと無視する、というより無視を装う選手は少なくないが、北村は複雑な心境を隠すことなく吐露してくれた。
前年のアジア選手権で自分は必死の思いで銅メダルを取った。大きなステップだと思った。その“アジア銅メダル”を、今年、他の選手が達成した。「その程度のラインだったのか」という気持ちになり、自分の銅メダル獲得が快挙でも何でもなく思えた。もちろん、根底には「自分が出たかった」という気持ちがある。
そうした気持ちに襲われるのは、北村に向上心があればこそ。多くの選手が手にできるメダルなら、快挙とは呼ばない。「日本の74kg級は、もっと上を狙えるはずです」。自分が狙うべきメダルは、断じてアジアの銅メダルではない。
■「下から追われることを気にしていては、強くなれない」
2012年12月の全日本選手権では、決勝で高谷に当時のピリオド制ルールの0-2ながら、ともに1-1のラストポイントで負けるという接戦を展開。打倒高谷の一番手に位置していた。しかし昨年、山中や嶋田大育(国士舘大)、鎌田学(自衛隊)らが台頭し、ちょっと影が薄くなってしまった感は否めない。 全日本合宿でアジア3位の山中良一(背中)と練習する前年3位の北村
新しい生活は、週2日は会社に出勤して終日勤務があるが、残りの日はレスリングに打ち込める。練習拠点は母校の早大。授業という制約なくなった分、「いろんなチームに出げいこに行きたい」と計画している。さらに、会社の理解のもと、田中と2人で海外に遠征し、練習と大会出場も検討している。学生時代とは一味違った選手生活となりそうだ。
学生時代にはグレコローマンの大会を制しており、グレコローマン転向説もあったが、これはきっぱり否定。「フリースタイルに役立てるためにグレコローマンの試合に出ることはあるでしょうが、フリースタイルで勝負します」と、進む道を決めている。
まずは来月の明治杯全日本選抜選手権(14~15日、東京・代々木競技場第2体育館)。昨年まではこの時期、リーグ戦に打ち込む必要があったが、今年は狙いを一本に定められる。集中できる分、「プレッシャーは感じます」と言うが、「高谷超えをするつもりです。その先にあること(世界選手権出場)を経験したい」ときっぱり言い切った。