※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=樋口郁夫)
屋比久翔平
「階級を上げて最初の大会に勝ててホッとしていますが、力の違いを感じました。押されることがありましたし、リフトの時、ジュニアの66kg級の選手相手なら全然重たく感じなかったのに重く感じるなど、まだまだだなと思います」と謙そんするが、「ジュニアの世代で競った試合をしていてはダメだな、と思っていましたので(よかった)」と、4試合をすべて1ピリオドで勝った無失点の内容を振り返る。新しい階級で世界へのステップ台に立ったことは間違いないだろう。
■好成績を残したが、減量が限界だった66kg級
昨年は66kg級で通してきた。世界ジュニア選手権3位のほか、東日本学生春季新人選手権優勝、全日本学生選手権3位、国体2位、全日本大学グレコローマン選手権3位。「すべて取るつもりでしたので…」と不満の方が強いようだが、1年生としては上出来の成績。しかし体重調整には限界を感じていた。「国体や大学グレコローマン選手権は、自分の動きができませんでした」。 JOC杯決勝も圧勝だった屋比久
「上げるしかない」と決意。体づくりに励み、3ヶ月に満たない期間でひとまずの結果を出した。ふだんの練習で、66kg級全日本王者の音泉秀幸(ALSOK)や74kg級世界選手権代表の金久保武大(ALSOK)らにもまれ、ハイレベルの中で鍛えられている成果であることは言うまでもない。
JOC杯の約3週間前に、世界学生選手権71kg級の日本代表プレーオフに出場。初戦で全日本選手権66kg級3位の選手をテクニカルフォールで下しながら、決勝は大学の先輩(中村尚弥)の投げ技を2度受けてしまい、何もできないまま黒星。「情けない試合をしてしまいました。(JOC杯に)その悔しさをぶつけました」。負けが起爆剤となった一方、減量の少ない闘いを経験できたのも、JOC杯へ向けてのプラスとして作用したようだ。
■屈辱だった55kg級の選手相手の黒星
元全日本王者の父・保さん(沖縄・浦添工高監督)の達成できなかったオリンピック出場を目指し、保さんの指導の下でレスリングに取り組んだ。高校時代には個人のみならず学校対抗戦でも全国一を経験しているが、日体大選手の“トップ意識”は高校とは比べられないほど強かったという。全日本大学グレコローマン選手権に抜てきされ、「自分の仕事をしっかりやらないとならない、というプレッシャーはけた違いだった」と振り返る。 シニア75kg級での闘いに備え、体力アップに励む屋比久
それだからこそ、全日本学生選手権と全日本大学グレコローマン選手権でともに早大の選手に負けたのは悔しいことだった。「弱いからですね」と、さらなる飛躍を誓ったが、昨年、一番悔しかったのは国体決勝で55kg級の選手(長谷川恒平)に敗れたこと。
相手はオリンピック選手であり、ふだんの練習で力の差があるのは分かっていたが、1ポイントも取れないテクニカルフォール負けにはショックだった。「練習と試合は違う、と思って臨んだのですが…。本当に悔しかったです」。順調に力を伸ばしている屋比久のここまでだが、悔しさの積み重ねが根底にあるのは言うまでもない。
国内のジュニアでの試合結果が、世界のジュニア、さらにはシニアで通じるものではないだろうが、とりあえずの階級アップ成功という結果に、自身の成長を再認識したはず。「スタンドで押し込み、テークダウンを取ってグラウンドで勝負する自分のスタイルを貫き、世界ジュニア選手権では去年を上回る成績を残したい」と今夏の目標を掲げる一方、「体づくりに取り組み、来年は世界の75kg級で闘えるようになって2016年のリオデジャネイロ・オリンピックを目指したい」。
2020年オリンピックのターゲット選手に指名された屋比久だが、まず目指すのは2016年オリンピックだ。