※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=樋口郁夫)
アジア選手権へ出場する菅原ひかり(至学館大)
先月、吉田栄勝さんが急逝された際、報道陣は吉田さんの三重・一志ジュニア教室の教え子として、67kg級世界3位の土性沙羅や、直接の教え子ではないが寝泊まりして指導を受けたことのある48kg級世界チャンピオンの登坂絵莉にコメントが求めた。菅原も吉田栄勝門下生の一人。世界の舞台に飛躍したのは2人よりも早い。
秋田県生まれ。中学進学に際し、吉田さんの指導を求めて三重へ“留学”。家に下宿させてもらってレスリング漬けの毎日をおくった。2007・08年に2年連続で全国中学生選手権優勝。2011年3月、17歳で女子ワールドカップ(フランス)に抜てきされ、これは日本のW杯代表の最年少記録。92年に19歳で全日本チャンピオンに輝いた優等生だ。
2012年12月、19歳で全日本チャンピオンに輝く
栄和人監督からは「マットの上で倒れるくらいのレスリングをやれ」と言われているそうで、「それができれば、優勝できると思っています」と言う。3年前のアジア選手権の時は「ただ、がむしゃらにやっていた」。今は、当時に比べれば考えながら闘うことができるようになったと自負しており、「試合運びを考えながら、やってみたい」。3年間の成長をすべてぶつけたい。
■ヘルニアの手術に踏み切る前にユニバーシアードで優勝!
2012年12月に日本一になったことで、昨年は世界選手権出場のチャンスがあった。6月の全日本選抜選手権は優勝できなかったが、入江ななみ(九州共立大)、宮原優(東洋大)とのプレーオフに進み、勝てば世界選手権だった。しかし、第1、2試合で連敗してしまい、あっさり敗退。世界への飛躍はお預けとなった。
17歳でW杯出場。高校の教科書を持っての遠征に、成田空港では報道陣に囲まれた
その段階で2週間後のユニバーシアード(ロシア)への出場は決まっていたので、それには出場した。ところが、「日本代表としてやるしかない」と開き直ったことがよかったのか、4試合に勝って見事に優勝することができた。準決勝で欧州選手権3位のユリア・ブラヒンヤ(ウクライナ)に勝ち、決勝の相手のエルデンネチメグ・スミヤ(モンゴル)は2ヶ月後の世界選手権で2位になった選手。内容も十分の優勝だった。
初めて国際大会で優勝できたこととともに、腰が悪かったにもかかわらず優勝できたことは自信になった。さらに「手術前に嫌な思いを吹っ切れてよかったです」と、気持ちが前向きになっての戦列離脱。
手術のあと、12月の全日本選手権へ向けてリハビリ。同選手権は4位という結果に終わったが、腰の状況は順調に回復していた。「以前は腰をかばって他を痛めたりもしましたが、そういうことがなくなり、全力で練習できています」。コンディションよくアジア選手権に臨めるようだ。
全日本合宿で練習する菅原ひかり
その間、階級区分が変わり、51kg級がなくなった。同級の選手は48kg級か53kg級への選択を余儀なくされたが、「減量がきつかったから」と階級ダウンは眼中になく、ためらうことなく53kg級を選んだ。オリンピック以外の年は55kg級でやることも視野に入れている。
吉田栄勝さんが55kg級で闘うことを勧めていたという。吉田さんは、「48kg級=登坂絵莉、53kg級=吉田沙保里、55kg級=菅原ひかり」という教え子3人で軽量3階級の世界制覇を目指していたのかもしれない。ふだんの体重を考えつつ、「栄監督と相談していきたい」という。もちろん、オリンピック・イヤーは「思い切って沙保里さんに挑戦します」ときっぱり。
いずれにせよ、腰の状態を回復させた今年は、結果を出さねばならない。「これまでの国際大会は、いつも中国に負けているんです」。中国との対戦がなかったユニバーシアード以外の国際大会3大会は、いずれも中国選手に黒星を喫している。しかし、旧ルールのクリンチで負けたり、リードを奪いながら逆転されたりと、苦手意識を持つような負け方ではない。
アジア選手権では、ユニバーシアードの優勝と腰の回復によってリニューアルされた菅原の姿が見られそうだ。