※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文・撮影=増渕由気子)
60kg級を制した米沢圭(秋田・秋田商)
米澤は「優勝とか全然したことがなかったので、全国優勝できてよかった」とホッとした表情。それもそのはず、中学では全国中学選抜選手権3位が最高成績で、そこから表彰台の中央に立てるようになるまでに成長したのだから。
昨年のインターハイ準決勝で敗れた嶋江翔也(佐賀・鳥栖工)と準決勝で対戦する組み合わせ。「そのときは4-11の大差で負けました」と、優勝へのハードルは高かったが、「藤波選手がいなくてチャンス」と前向きにマットに上がった。
試合は秋田商ならではの高速タックルを繰り出し、時には「絶対に点数を取られたくなかった」と顔面ディフェンスもいとわないほど勝利への執念を見せた。そのおかげで、左目付近には“立派な”青タン。でも、それを誇らしげに見せるように顔を上げ「インターハイ、国体も優勝して3冠を目指して頑張りたい」と宣言した。
■冬の秋田の豪雪と寒さは想定外
秋田商は公立高校。基本的に地元の選手たちばかりだが、米澤は東京出身で「団体でも強いチームに行きたい」と、越境入学を希望して進学した変わり種の選手。両親の出身地でもなく、秋田には縁もゆかりもないのだが、同校に強いあこがれも持ち、意志を貫き通しての進学だった。
優勝した瞬間、ガッツポーズで喜びを表した米澤
だが、秋田への越境入学には試練もあった。秋田は豪雪地帯で、東京と気候に差がある。両親の「寒くて大変だよ」との指摘も、米澤は「僕は暑がりだから大丈夫」と全く問題視していなかった。
両親の予想は的中。東京出身で豪雪下での生活に慣れていない米澤は、冬場、寒い気候の壁にぶつかった。「雪に慣れず、寒さも予想以上に厳しかった」と吐露。それでも、自分の意思で来たことを忘れなかった米澤は、生活環境の違いも何とか乗り越えた。
両親の元を離れ、慣れない環境でレスリングを磨いた米澤。精神的にも強くなったことが、レスリングの飛躍につながったのかもしれない。