2014.02.12

【特別寄稿】「周囲への感謝を忘れず、他人の悪口を言わない選手を目指してほしい」…栄和人・日本協会強化委員長

※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。

(日本協会強化委員長・栄和人)


この度、日本協会の理事会にて、女子の強化委員長から3スタイルを統括する強化委員長に推され、文部科学省委託のナショナルチーム・コーチの重責とともに引き受けることになりました。お世話になった多くの方々への恩返しをしたい、という気持ちからの受諾です。

 教え子がオリンピックで3大会連続で金メダルを取りましたが、自分一人の力で達成できたわけではありません。多くの人達の支えがあればこそです。その気持ちを強化という形で返していきたいと思います。

 私たちは、2016年リオデジャネイロ・オリンピックでの勝利は言うまでもなく、2020年の東京オリンピックへ向けて前進せねばなりません。女子がオリンピック種目になった時には言いようのない緊張感に襲われましたが、今回はそれ以上の責任を感じ、身が引き締まる思いです。

 これから強化委員長として、各スタイルの強化委員長を通じて選手に接するわけですが、オリンピックを目指す選手に絶対に忘れてほしくないことがあります。それは、「支えてくれた人、くれている人への感謝の気持ちを絶対に忘れるな」ということです。

■多くの人の支えがあってこそ、栄光がある

 奈良県教員であった私は、1990年初めに肝臓を悪くし、集中治療室に運ばれ面会謝絶になり、死線をさまよいました。集中治療室での生活を約1ヶ月間おくり、退院するまで約3ヶ月かかりました。

 自分自身の人生を振り返り、これからのことを考えた時に、全日本コーチをやりたいと思い、日本協会の福田富昭副理事長(当時=現会長)に相談したところ、「女子のコーチをやれ」と言われ、1990年秋に京樽の監督として指導を引き受けました。

  福田会長は、1985年に日本の女子レスリングを発足させ、最初のコーチとして、木名瀬重夫コーチ(現日本協会専任コーチ)が女子の指導を行っていました。女子の指導は難しく、大変苦労したことを聞いていました。私も当初は慣れない指導に悩み、「自分は無理かな」と何度も思い、オリンピックを目指し、現役を続けようかと思いましたが、大学時代のコーチである高田裕司・山梨学院大コーチ(現日本協会専務理事)に「指導に専念しろ」と言われ、我にかえることができ、指導に集中することができました。

京樽の多くの支援で指導者として成長させてもらったあと、中京女子大学(現至学館大学)の谷岡郁子学長から「高校・大学の7年一貫教育としてレスリングの指導をしてほしい」と声がかかり、福田会長からの進言もあって名古屋に行くことを決意しました。

 それから9年後、2004年アテネ・オリンピックのメーンポールに日の丸を2本、揚げることができたわけですが、振り返ってみると、福田会長のほか、全国少年少女連盟の今泉雄策会長など女子レスリングの先駆者が築いたベースを基に、一歩一歩進んできたというのが実感です。選手との考え方の溝も多く経験しました。勝つことによって、それが埋まり、一丸となれたことで、さらに実力が上がるという繰り返しでした。

 その結果、多くの選手にオリンピックや世界選手権でメダルを取らせることができたわけですが、私の力だけで達成できたことなどとは、つゆほど思っていません。まず、選手として、指導者として、私を育ててくれた方の存在があります。

 鹿児島商工高校の加治佐正昭先生にはじまり、日体大の藤本英男監督、高田裕司コーチ(現日本協会専務理事)、当時現役選手として一緒にオリンピックを目指し、その後、全日本コーチとして指導を受けた富山英明・日大監督(現日本協会常務理事)ほか、多くの方の指導があり、1988年ソウル・オリンピックに出場できる選手に成長しました。

 指導者になってからは、福田会長はじめ全日本女子連盟の各コーチから指導のノウハウを教えていただき、一段ずつ歩んできました。

■各クラブで育てた指導者と裏方で支えてくれる人の力

 これまで私が指導した選手を幼少の頃から育てた指導者の力もあります。オリンピックのメダリストに関して具体的に書かせていただくなら、吉田沙保里は吉田栄勝さん(三重・一志ジュニア教室)、伊調千春・馨には沢内和興さん(青森・八戸クラブ)、浜口京子にはアニマル浜口さん(東京・浜口道場)、小原日登美には勝村靖夫さん(青森・八戸キッズ教室)という指導者と、その周囲にコーチがいました。

その方々が築いてくれた基礎のうえに、私や全日本コーチの指導と医科学面でのサポートが加わっての結集がオリンピックでのメダルです。指導には携わってはいなくとも、多くの方の支援と応援があり、その思いが伝わることで選手は勇気を奮い立たせることができました。

 そして、協会事務局職員の方々と、大会運営に携わっている裏方の人たちの力があります。合宿や海外遠征は、事務局の方々が日本オリンピック委員会(JOC)との間に立ち、書類の申請や経理など細かな作業を重ねていただいて実現しています。私たちが練習に専念できるのも、そんな方々の苦労の上に成り立っています。加えて、新潟県十日町市で合宿の度にお世話になっている全日本女子連盟の丸山秀二副会長や食事を作ってくださる方々にも感謝しています。

 全日本選手権や全日本選抜選手権などは、私の現役時代では考えられないような素晴らしい舞台となっています。ここで試合ができることで選手は気持ちが高揚し、度胸をつける練習にもなるわけですが、素晴らしい試合ができることを「当然」と思ってはなりません。協賛企業を集め、大会進行に多くの人たちが携わっているからです。

 闘う選手は、多くの人の支援のもとに自分がいることを絶対に忘れてはなりません。

■松井秀喜親子に学びたい「他人の悪口は言わない」という姿勢

 この場を借りて、より多くの選手に訴えたいことがあります。それは「他人の悪口を言うな」ということです。これは、日米の野球界で活躍し、昨年、国民栄誉賞を受賞した松井秀喜さんの父・昌雄さんの教えであり、松井さんの信条でもあることです。

松井さんは中学2年生の時、家族での夕食の際に友人の悪口を言ったことがありました。すると父は箸を置き、「他人の悪口を言うような醜い(みにくい)ことはするな。二度とそんなことは言わない、と約束しなさい」と烈火のごとく怒ったそうです。以来、松井さんは他人の悪口を言わないことを貫いてきました。

 担当記者や周囲の人の話を聞いてみると、松井さんが他人の悪口を言わないというのは事実のようで、それがゆえに、だれからも愛される人間だということです。ある時、取材でちょっと失礼と思えるような質問をされたことがあったそうです。それでも怒ることなく、きちんと答えたそうです。知り合いの記者が「あんなこと聞かれて、腹が立たないのか?」と聞いたところ、「腹は立つけど、あの記者さんも、それが仕事だと思えば我慢できます」と答えたそうです。

 人間の大きさを感じさせてくれるエピソードです。他人の悪口を言う時間とエネルギーがあれば、自己を高めることに使うべきです。他人の悪口は何の利益ももたらさず、自分の価値を落とすだけです。誰からも愛される人間であるからこそ、多くに人から応援され、それが自分の力強いエネルギーになるのです。

 他人の悪口を言い、足を引っ張るような選手にはなってほしくありません。スポーツ界のスーパースター、松井さんが示してくれた人間としてのあるべき姿を学び、実践したいものです。

 昨年は、古代オリンピックから伝わる由緒あるスポーツのレスリングがオリンピック競技からの除外の危機を迎え、3000年の歴史の中での最大のピンチに立たされました。しかし、世界中の熱意を結集させてこのピンチを救いました。日本では100万人近い人が署名という形でレスリングへの思いを国際オリンピック委員会に伝えました。

 あの熱気を、今度は2020年東京オリンピックへ向けて燃やしていただきたいと思います。日本代表選手の活躍は、選手と指導者だけのものではありません。日本中の総力を結集してこそ、栄光がやってきます。全国の皆様の熱い応援をお願いいたします。