2013.12.09

【特集】韓国グレコローマンの強さの秘密は?…オリンピック&世界王者に聞く(上)

※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。

11月下旬、男子グレコローマンの2人の世界王者を含む韓国のナショナルチームが来日し、全日本チームと合同合宿を行った。グレコローマンでは、手の内を隠すことなく、「まねできるものなら、どうぞまねてください、と言わんばかりの自信」(西口茂樹・男子グレコローマン強化委員長)を見せつけた。

 韓国のグレコローマンは、1984年ロサンゼルス・オリンピック以来、オリンピックの度に金メダルを獲得。2008年北京大会で途切れたが、ロンドン大会で復活し、今年の世界選手権は「金2・銀1・銅2」を獲得して往年の強さを取り戻した。

 同じ東アジアの民族でありながら、日本より格段上の強さを見せる韓国グレコローマンの強さはどこからくるのか。ロンドン・オリンピック66kg級の金メダリストであり今年の74kg級世界王者の金炫雨(キム・ヒョンウ)、66kg級世界王者の柳漢壽(リュ・ハンス)に加え、2004年アテネ・オリンピック金メダリストの鄭智鉉(ユン・ジヒュン)の3選手に、韓国グレコローマンの強さの源などを聞いた。(聞き手:樋口郁夫)

《通訳》山本美仁=山梨・峡北高~中大卒。2001年に中大の主将を務める。卒業後、韓国国立体育大学、ソウル大学で語学などを学び、韓国レスリング界の要人や強豪との交流を持つ。2009年には全国社会人オープン選手権で優勝。ロンドン・オリンピック金メダリストの米満達弘選手を育てた現韮崎工高・文田敏郎監督の教え子の一人。

 ――金炫雨選手はロンドン・オリンピックの66kg級で優勝し、今年の世界選手権(ハンガリー)では階級を上げたばかりにもかかわらず、見事に優勝されました。しかも、この階級の絶対王者と呼ばれたロマン・ブラソフ(ロシア)を破っての優勝。振り返ってください。

 金炫雨 階級を上げたのは、体重調整がきつくなって減量ができなくなったからです。74kg級で優勝できたのは、安漢奉監督(1992年バルセロナ・オリンピック金メダリスト)から体力面と精神面の両方ですごく鍛えられたからだと思います。「74kg級でも絶対に優勝できる」と思うことができました。勝てた最大の要因は、パワーでは劣っていても、後半になれば体力(スタミナ)で勝ることができ、それで勝てたのだと思います。

――74kg級で闘うにあたり、「負けて元々」と言いますか、「今年はテスト期間だ」といった気持ちはあったのでしょうか。それとも優勝することだけを考えていたのでしょうか。

 金炫雨 4月のアジア選手権(インド)から74kg級で出場しましたが、この時は正直言って自信がありました。世界選手権に関しては、ロシアの選手(ブラソフ)が2011年からすべての大会で勝っていて無敗を続けていましたので、チャレンジャーとして闘うという気持ちでした。その選手の映像をしっかり見て、徹底的に研究し、その成果が出たのだと思います。

 ――階級を上げて通用するには2年間くらいかかると言われています。そんな常識にとらわれなかったのでしょうか。

 金炫雨 普通の選手ならそうかもしれません。私の場合、66kg級に出ていた時、ふたんの体重が76~77kgくらいありました。74kg級に出てもおかしくない体重があったので、階級を上げてもすぐに通用したのだと思います。

 ――柳選手は、シニアの国際大会はこの世界選手権が初めてだったのでしょうか?

 柳漢壽 アジア・ジュニア選手権(2006・08年)で優勝し、世界ジュニア選手権(2006・07年)では3位でした。シニアの世界選手権はこれが初めてでした。

 ――それで勝てた要因は何でしょうか?

 柳漢壽 練習する時、常に前(マットの中央)でやることを心がけていて、それが習慣になっていました。前に行くという気持ちが試合でも出てくれて、それがよかったと思います。

――世界選手権の決勝は、パーテールポジションから、攻撃側の相手選手のフライングで警告勝ちという、あっけない幕切れでした。あのまま続いていても勝てたでしょうか。

 柳漢壽 実はろっ骨を折っていました。今もまだ痛みます。8月に日本チームがソウルに来た時、清水博之選手(自衛隊)にやられたところです(笑)。完治することなく世界選手権を迎えました。つかまえられたら終わりだと思っていました。正直なところ、あのまま試合が続いたら負けていた可能性が高かったですね。

 ――準決勝までにも痛みはすごかったのでしょうか。

 柳漢壽 世界選手権前は非常に痛み、練習を休んだこともありました。試合になれば、緊張するし、「勝ちたい」という気持ちも出てきます。そうしたことがよかったのでしょう、痛みはさほど気にならずに闘うことができました。

 ――ロンドン・オリンピックの国内予選の66kg級は、金炫雨選手と争ったのですか?

 柳漢壽 決勝を闘いました。実は中学校の時から一緒にやってきました。高校の時は私が60kg級で金炫雨が66kg級。海外遠征にも一緒に行きました。階級が同じになり、彼との闘いの中で実力をつけていきました。よきライバルであるとともに、よき仲間なんです。

 ――鄭智鉉選手は2004年のアテネ・オリンピックで優勝され、その後の2度のオリンピックにも出場されました。まだ選手活動を続けていることに驚きました。

 鄭智鉉 そろそろ引退して指導者に回ることを考えています。リオデジャネイロ・オリンピックのことは考えていません。

 ――こうして全韓チームの遠征に参加しているのは、来年9月の地元のアジア大会(仁川)が目標だからですか?

 鄭智鉉 特に強く考えているわけではないです(笑)。そろそろ潮時かな、と思っています。

 ――韓国グレコローマンの強さをお聞きしたいと思います。

(続く)