2013.11.21

【押立杯関西少年少女選手権・特集】生まれ変わった吹田市民教室が王座奪還!

※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。

昨年4位の屈辱を跳ね返し、団体優勝の吹田市民教室

 押立杯関西少年少女選手権の団体優勝は、会長・理事長が変わり、再スタートを切った地元の吹田市民教室が、三重・四日市ジュニアに16点差をつけて優勝。昨年、大会史上初めて3位を外れた屈辱をはね返した。

 4月に就任した西脇義隆・新会長(関大OB)は「吹田の総力をあげて奪還できました。まだ満足ではありませんが、関東や九州からも強豪チームが来てくれた中で優勝できたのは、新しい責任者として、とてもうれしく感じます」と喜びの声。「満足することなく、次の大会を目指してまい進していきたい」と、さらなる飛躍を誓った。

 昨年、3位を外れた時は「予想もしていない成績だった。とても残念だった」と振り返る。宮本輝夫代表が健康上の理由で退くことになり、後を受け継ぐことになって責任の重さを感じたという。それだけに、ホッとひと息といった気持ちのようだが、「もっと盤石な強さを求めたい」と、往年の強さを目指しての闘いを宣言した。

 吹田市民教室は、かつてはキッズ・レスリングの難攻不落のクラブとして存在し、この大会の団体優勝を続けていたが、2010年大会で初めて優勝を逃し、昨年は4位となるなど近年は苦しい闘いが続いていた。キッズ・レスリングが盛んになり、周囲のクラブが力をつけてきたという理由のほか、吹田市民教室のやってきたレスリングが、多彩な技が出るようになった現在のキッズ・レスリングについていけなくなったことも指摘されていた。

かつての吹田市民教室の方針は、正面タックルとネルソンやローリングという基本技術の徹底だった。故押立吉男代表は「後ろへ下がらず前へ進みなさい」「思い切ってタックルへいきなさい」「相手を倒したらローリング、あるいは腕をとってフォールを狙いなさい」との指導方針のもと、テクニックに走らないレスリングと豊富な練習量で確固たる王国を築いた。

 2007年まで24回にわたって行われていた全国大会の団体得点で、20度の優勝が示すように、その時代にはそのやり方でよかった。だが、キッズ・レスリングが広まり、多くの全日本トップ級の選手が指導に加わるようになると、以前には見られなかった技が見られるようになった。にもかかわらず、吹田市民教室のレスリングは変わっていかなかったのは事実だ。

■スパーリング中心の練習から、スキルアップの練習へ方向転換

 西脇代表は「以前の練習から80パーセント変えました。以前はスパーリング中心の練習でしたが、今はひとつひとつの技のスキルアップに力を入れています。その成果が優勝という形に表れたのではないかな、と思います」と振り返る。同じローリングの練習でも、単なる反復練習ではなく、スキルアップに力を置き、技術の養成を行ってきた。

 技術指導の中心は日体大OBの今川加津雄コーチ。立命館大を西日本の雄に育てた伊藤敦監督や三重・いなべ総合学園高を全国トップに押し上げた藤波俊一監督、今をときめく森下史崇選手の父・敏清さんらと同期だ。

“新生”吹田市民教室のチーフコーチとして、佐藤満・前男子強化委員長が指導するテクニックDVDを活用。披露されている最新テクニックを14人いるコーチに繰り返し見せて研究してもらい、その技術を選手に伝えることをやってきた。西脇代表は1959年の全米選手権に出場し、フリースタイル・フェザー級で優勝、グレコローマン同級で2位の成績を残している強豪選手だが、試合時間の長い時代の選手だけに、指導方針をめぐって今川コーチとで意見の衝突もあったようだ。

 最終的には若い指導者の方針を受け入れ実行してきた。「各コーチが最新のテクニックを的確に実践してきたことが優勝につながった」と振り返り、今川コーチの指導の方向性の正しさを実感。「往年の強さをつくり、日本レスリング界に貢献したい」ときっぱり。

 宮本前会長とともに勇退した西尾秀明・前理事長は「理事長も若返りました(藤原正彦氏=50歳)。若い人たちで、新しい吹田市民教室を作っていってほしい。すば抜けて強い女子選手(伊藤海=小学校5・6年30kg級)もいますし、期待できます」と、クラブの発展を願った。

 キッズ・レスリングに不滅の金字塔を打ち立てた吹田市民教室。伝統の力に新たなパワーが加わり、再び確固たる王国を目指す。