※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=樋口郁夫)
橋元勇人とセコンドについた父・勝利さん
新たな歴史に挑んだのは、大阪・高石高校から関西医療大学に進んだ橋元勇人。部員1人では、今年はリーグ戦への参加もできなかった。「来年は部員を増やしたい。柔道経験者を今から集めています。もちろん、大学へ入ってからレスリングをやりたいという学生がいれば歓迎します」と燃えている。
■人生の夢を追いつつ、レスリングも続けたい
今大会は初戦で日体大の櫻庭正義と闘い、1分27秒、0-8のテクニカルフォールで敗れた。「全国の強さ、格の違いを見せつけられました。組み合うどころか、構えからして『強い』と感じるものがありました」と壁の高さを感じたという。試合で痛めた左肩にアイシングし、唇を切って出血していた姿は痛々しい。だが、「いずれ対抗できるように頑張りたい」と気を取り直し、今後の踏ん張りを口にした。
2011年にインターハイ84kg級に出場したものの(初戦敗退)、最終学年での出場はならず、全国高校生グレコローマン選手権に出場したにとどまった(2回戦敗退)。「悔いが残りました。せっかくやってきたので、ここで終わりたくない、まだ、レスリングを続けたい」-。 櫻庭正義(日体大)と闘う橋元(赤)
■総合格闘技道場と他大学への参加で練習をこなす
そのため、レスリング部のある大学ならどこでもいい、というわけにはいかない。選んだのが関西医療大学。レスリング部はないので、自分でレスリング部をつくることを決意し、柔道部の尾原弘恭監督に相談したところ、選手時代にレスリングの練習もやったことがあるそうで、レスリング部の創部の尽力してくれ、監督にも就任してくれた。
練習場はないが、近くに大体大レスリング部OBが開いたパンクラス認可ジム「ハイブリッドレスリング 格闘技吉田道場」があり、そこに通うことで練習環境を確保した。大学時代にレスリング部だった人も通っており、レスリングの練習相手になってくれるという。通っている大学のキャンパス内で練習できない不便さは感じるが、「勉強とレスリングを両立できるので、恵まれた環境だと思っています」ときっぱり。
「最初は、やれるだけでいいと思いましたが、いろんな人とやっていくうちに、他大学にも練習しに行って頑張ろうという気になりまして…」。大体大、関大、大阪市大、帝塚山大などにも通うようになり、時に大勢の選手に混じって練習する機会も求めるようになった。
■大学での初白星は来年に持ち越し 健闘むなしく敗れたが、来年の飛躍に期待
小学校6年生の時に高石スポーツ少年団でレスリングを始め、途中、やめた時期もあったがレスリングへ戻ってきた。この大会のセコンドについたのは、柔道経験者である父・勝利さん。息子のレスリング活動を見守ってきており、セコンドにつきながらレスリングの勉強もしてきたという
今回のセコンドも、監督から「私よりレスリングを知っているでしょう」と託された。「高校時代の(他校を含めた)先生方が、『大学でもレスリングをやりなさい。ウチに練習来なさい』と後押ししてくれまして、とても勇気づけられているんです。人に恵まれています」と周囲のサポートに感謝し、「日体大の選手と闘えたことは幸運と考えています。関東の強い大学の選手と闘えたことは、最高の経験です」と、この完敗をばねに飛躍を期待した。
部員1人であっても、気持ちがあればレスリングを続けられる。こうした選手をサポートし、力強く育ってもらうことも、レスリング界に求められている使命である。