※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=樋口郁夫)
「チャンピオンがいないからチャンスだとか、勝てたとか、そう言われるの、嫌なんです」。まだあどけなさの残る18歳、男子フリースタイル60kg級の高谷大地(拓大1年=右写真)は、世界選手権代表の前田翔吾(クリナップ)が負傷で戦線を離脱することで「チャンスが広がったね」という筆者の問いに、間髪置かず、きっぱりと答えた。
ロンドン・オリンピック代表の高谷惣亮(ALSOK)の弟で、6月の全日本選抜選手権のチャンピオン。若くして日本一に輝く選手は、“持っているもの”が違うことを感じさせてくれた言葉だった。
■「誰が相手でも勝ってこそチャンピオン」-
全日本選抜選手権は2回戦で前田を破り、決勝で高塚紀行(自衛隊)を破ったあと、プレーオフで前田に敗れて世界選手権出場を逃した。その前田の離脱で敵が一人減ったのは間違いない事実。他人の不幸を喜ぶという意味ではないが、そうしたことを追い風と受け止め、より力が入る選手がいてもいい。高谷は違った。 全日本選抜選手権で優勝し、セコンドの兄に駆け寄る高谷
これも、きっぱり否定した。「特定の誰かを意識し、目標にしているわけではありません」。若い選手の場合、質問に相づちを打つことが多いのが普通だが、ここまでき然として自説を言い切る若手選手も珍しい。
夏から秋にかけてはスランプに陥った。8月の全日本学生選手権(インカレ)は、初戦で京都・網野高の同期生の伊藤和真(専大)に6-7で黒星。今月の東京国体は3回戦で池田智(日大)にテクニカルフォール負け。このままでは、「あの優勝はまぐれ勝ち」と言われても返す言葉はない。
■挑戦者と思っても、重かった“全日本選抜王者”の肩書 プレーオフで前田と闘う高谷。力尽きて世界選手権出場はならず
同じ学生選手と闘ったインカレと国体では結果を出すことができなかった。「国体では、構えた瞬間に何をしていいか分からなくなった。いくら挑戦者と思っても、明治杯で勝ったことがプレッシャーになり、『負けてはいけない』と思ってしまった。言われたことができず、思い切りもなく…。学生選手が相手だからでしょう、なぜか尻が引けてしまいました。落ち込みました」。
国体では兄・惣亮も負け、「心の支えが折れた」こともショックに拍車をかけた。その後の練習でも思ったようなスパーリングができず、指導されたことが頭に入ってこなかったという。
拓大の西口茂樹部長(男子グレコローマン強化委員長)に構えから指導され、自然とよくなってきて、どん底は抜け出た感触がある。来月の全日本大学選手権で自分のレスリングを取り戻し、弾みをつけて12月の全日本選手権へ挑みたいという。
■世界のレスリングの厳しさを体感したい
小学校1年生から始めたレスリング。2004年アテネ・オリンピックで、網野高校の先輩となる井上謙二選手(男子フリースタイル60kg級=自衛隊)が銅メダルを取り、オリンピックへの憧れを感じた。しかし、「そんなレベルではない」と、オリンピックの舞台はまだ夢の段階。 全日本合宿で母校の先輩、井上謙二コーチと練習する高谷(左)
しっかりと意識したのが今年6月、全日本選抜選手権で優勝した時だった。「ここまで実力がついたんだ、と思いまして」。その後、勝つことはできても、それを継続することが難しいという“チャンピオンの宿命”にぶつかったわけだが、過去、そして現在のトップ選手のだれもが経験した壁。ここを乗り越えることによって、ひと回り大きな高谷が誕生するだろう。
世界選手権のビデオを見て、「外国選手はガッツがある。日本人同士だと、思い切ってやる中にも、どうしても遠慮が出てくる。でも、指を折り曲げてきたら、折り曲げ返すような闘いをやらないと世界では通用しない」という感想を持った。来年の冬は海外遠征をこなし、その厳しさを体で感じてみたい。そのためにも、全日本選手権で勝って冬の海外遠征を勝ちとらねばならない。
兄弟でレスリングをやっている場合、ほとんどが兄の後を弟が追ってレスリングを始めるケースだろう。高谷兄弟は弟・大地の方が先に初め、兄・惣亮が続いた。年齢差からして、“後輩”に先を越されたのはおかしくないが、“先輩”が世界の舞台での飛躍を目指す時がやってきた。