※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=樋口郁夫) ジュリーとして国体に立ち合った佐々木さん
この種の記録は集計されていないため、これが最多記録かどうはか不明だが、最多か、そうでなくともトップクラスの参加回数だろう。「16歳で初参加して以来、参加していない大会は、三重、奈良、北海道の3大会だけです」とすらすら出てくるほどで、国体への思い入れは強い。
「選手の時は、県の得点を稼ぐために頑張りたいと思っていた。指導者としては、生徒を国体に出したいという気持ちでした」と勝つために必死に取り組んできた。世代交代で監督、コーチの座を若手に譲ったあとは、「何らかのことをやりたい」という気持ちで、審判員として参加を続けたという。
世界王者に輝いてレスリング界に残っている人なら、現場を若手にまかせたあとも、何らかの形で指導に携わり、協会幹部として現場に目を光らせてもおかしくない。確かに静岡県の理事長として同県レスリングの発展を支えているが、審判という日の当たらない役目に情熱をささげた元世界王者も珍しい。
これも選手のことを思えばこその行動だ。「『あの審判のせいで負けた』と口にするコーチや選手がいる。自分の選手時代のことを考えると、分からないでもない。そんな思いを選手にさせたくないという思いでやってきました」。静岡県のA級審判員の数は千葉、大阪に続いて多く、今年も2人が合格した。理事長の姿勢の表れと言ってもいいだろう。 1977年世界選手権で優勝した佐々木さん(日本協会80年史より=本人提供)
2008年北京オリンピックには松永共広(男子フリースタイル55kg級=沼津学園高卒)、2012年ロンドン・オリンピックには長谷川恒平(福一漁業=焼津中央高)と連続でオリンピック選手を輩出しているだけに、この勢いを国内大会にも持っていきたいところ。
今年は長谷川や少年2選手の優勝などがあり、総合8位に入賞することができた。その日のうちにフェイスブックに「選手の頑張り、ありがとう」という感謝の気持ちをアップし、選手へのねぎらいの気持ちを伝えた。フェイスブックで選手に気持ちを伝える県理事長は、そう多くはいまい。選手の目線で考えるからこそ、審判に情熱を燃やし、若者では常識となりつつあるソーシャルメディアにも取り組むのだろう。
最後に「職場や家庭が支えてくれたおかげです」と周囲への感謝を忘れなかった佐々木さん。世界王者として日本レスリング界を支えてくれたが、今後も国体の発展と審判員の地位向上の面で貢献してくれることだろう。