※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=増渕由気子)
指導のため、自ら実戦体験だ-。アジア選手権の男子フリースタイル57kg級で2位の実績を持つ45歳の山下勝さん(石川・志賀高教=右写真)が、東京国体の成年フリースタイル66kg級にエントリー。出場選手の中で最高齢での出場を果たした。
初戦で20歳以上も年下の中村圭志(岩手・大東大)に1分42秒、テクニカルフォール負けで白星を飾ることはできなかったが、ローリングをスイッチして乗ろうとするなど、テクニックで見せ場は何度も作った。「ふだんの練習相手は高校生やキッズばかり。大学選手との対戦は経験不足。感覚をつかめないまま負けてしまった」と敗因を挙げた。
出場した経緯を聞くと、「県の予選会で勝ったから」ととてもシンプルな答え。だが、真相はとても深いところにあった。 1988年アジア選手権決勝、2年前に17歳で世界一に輝いた天才レスラー、キム・ヨンシク(北朝鮮)を攻める山下さん。惜しくも銀メダル
国士舘大を卒業後、翌年の石川国体の選手として、同県の体育教師で赴任。地元国体が終わったあとも、国体や全日本社会人選手権、時にコンバットレスリング大会に出場するなど“ファイト”を続けていたが、「30代のときは、中学生の先生でサッカー部などを担当したため、時間が取れず、マットから遠ざかっていました」とのこと。
最近、高校に戻ったことでレスリングを教える時間が確保でき、40歳、43歳、今回(45歳)と40代になって3度も国体に出場した。
現在は志賀町ジュニア・レスリング教室の監督を務め、ほぼ毎日、夕方から数時間が高校生、そのあと午後10時ごろまでキッズの指導を行っている。山下さんが40代なかばにもかかわらず試合に出られる体力とスタイルを維持できているのは、「今教えている、高校の生徒は素人ばかり。だから基礎の部分は、自分が体をはって教えないといけないのです」という理由から。選手と一緒になって体を動かす指導をするだけで、体力が維持できてしまうようだ。
国体に出た理由は、予選を勝ち上がったからなのだが、試合にエントリーしている理由は2つある。まず「近年、ルールがよく変わり、指導するためにルールをよく理解するため」と答えたが、これを有言実行するには高いハードルがある。 初戦敗退に納得いかず、全日本マスターズ選手権への挑戦を明言した山下さん
試合に向けて体作りも本気モード。通常10~13%の体脂肪を、減量時には10%を切った状態まで仕上げるほどだ。
今回の国体は初戦敗退だった山下さん。次の闘いは来年の国体予選まで待てないようで、「(来年1月の)全日本マスターズ選手権に出場します。恩師の朝倉先生(利夫=国士舘大監督)に勝つことが目標です」と、国体をステップに来年のマスターズ大会にピークを合わせる意気込みを見せた。