※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文・写真=増渕由気子)
北海道レスリング協会創立60周年記念行事として行われた今年の全国少年少女選手権は、競技2日間とそれに先立つ開会式の3日間、無事に行われて成功をおさめた。大会競技委員長として2年前から尽力した札幌ちびっ子教室の平澤光志代表(右写真)は「皆さんのおかげで、何とか無事に終わることができました。感謝の気持ちでいっぱいです」と振り返った。
電車や車、様々な交通機関が使える本州開催とは違って、北海道開催となった今大会、ほとんどのチームが飛行機を使っての参加となった。昨年の東京大会は全国から192クラブ1486人が参加した。それより約500人ほどエントリー数は少なくなったものの、参加人数は1013人と大台は突破。ロシア・サハリン州のチームが参加したりと内容も充実したものだった。
■最南端の沖縄からも2チームが参加
平澤氏は本部席で熱戦を見守りながら「皆さん、遠い北海道までよく来てくださいました」と満足な表情を浮かべた。「最初は心配でした。人数が集まらなかったらどうしようかと。2年前に開催を発表していましたので、皆さんが2年前から計画的にお金を貯めて準備をしてくださったおかげですね」。
日本最南端の沖縄県からも、OJキッズ、やんばるクラブ、てだこジュニア、嘉手納クラブの4チーム、総勢23人が参加し、「本当にうれしかったです」と感無量の表情を浮かべた。
試合終了を知らせるタイムバトンは、アンパンマン人形
大会運営に関して工夫した点は、「子供の大会なので、試合終了を知らせるタイムバトンを縫いぐるみにしたことと、熊のキャラクターを施したオリジナルTシャツをスタッフTシャツとして採用したこと」。特にTシャツは“かわいい”と大人気だった。
■かつての強豪・北海道の再興を目指す
北海道協会の鎌田誠会長が大会招致を決め、平澤氏が頭取となって準備をしてきた。その中で、平澤氏には大きな目的があった。地元・北海道のレスリング普及拡大だ。
過去のべ21人の男子のオリンピック金メダリスト中、5人が北海道出身。会場の「きたえーる」の入り口には、池田三男(1956年メルボルン大会)、渡辺長武(1964年東京大会)、吉田義勝(同)、中田茂男(1968年メキシコ大会)、加藤喜代美(1972年ミュンヘン大会)の5人の顔写真が、北海道のお家芸であるウインタースポーツで金メダルを獲った選手たちと肩を並べて大きく飾られている。
北海道のメダリストたち
だが、近年の北海道のキッズレスリングは、「盛ん」とは言い切れなかった。全国少年少女連盟に加盟していないチームがあり、加盟を促すものの、遠征費用の問題や全国とのレベルの差などを理由に加盟が見送られていた。地元での開催が決まり、天塩、士別、岩内の3チームの加盟が今大会までに実現。6チーム、66人の選手が全国大会のマットに立った。
「勝つことが目的ではない。全国という舞台を経験することが、コーチ、選手ともに大切」と言う平澤氏にとって、今大会の目的が果たされた瞬間でもあった。「大変だったけど、北海道で開催してよかった。北海道の選手がこんな大きな舞台を肌で感じてくれただけで、いい経験になったと思います。(銀メダル2、銅メダル4つ獲得し)選手たちもよく頑張ってくれました」と話した。
■幼児の迷子対策が今後の課題
運営の課題については、「迷子になる子供が多かった」と振り返った。本部に計10人以上の迷子が“届けられ”、その都度アナウンス。会場の外に出て迷子になり、警察に保護された子供もいた。
大会を支えたスタッフの皆さん
平澤氏の妻で大会の裏方を支えた美千代さんは「私は保母さんの資格を持っているので、最初は託児所を作ろうと思ったんですが…」と話す。金銭面や安全面などで、託児所を開設するにはハードルが高いが、試合に出ない幼児には「所属と名前が書かれたシールなどを貼るなどの対策を今後していけたら」と、地元開催が終わっても、平澤氏は今後の大会に向けても尽力を惜しまない姿勢を見せた。