※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文・撮影=増渕由気子)
史上初となる北海道行われた全国少年少女選手権。地元の北海道からは大会史上最多の6チームが参加。銀メダル2個、銅メダル4個を獲得し、地元開催を飾ったと言える結果を出した。これも選手とコーチが一体となって練習に励んだ結果だろう。
その中に、今年1月からキッズのコーチを始めた人がいる。北海道のエースとして期待されていた田所和士(30日に記事掲載)らのセコンドを務めた小西隼人コーチだ(右写真)。実は、小西コーチは北海道出身ではなく埼玉県出身。「埼玉栄高校でレスリング部に所属していました」。
当初はレスリングとともの人生を歩む選択はしなかった。「競技は完全に辞めました。普通に就職し、北海道の会社に勤務したつもりだったんですが…」。
帯広は広大な面積を誇るが、街自体は小さいため、本州から若い男性が就職したという話はまたたく間に広がった。会社の同僚や上司に、自己紹介で「高校時代はレスリング部だった」と話したことで小西コーチの運命が変わった。「上司と帯広北クラブの五十嵐真人監督が知り合いで、すぐにコーチの打診があったんです。レスリングをやるつもりも教えるつもりも最初はありませんでした。子供たちを指導するノウハウもありませんでしたし」。
■目標は母校・埼玉栄を超える選手の育成
だが、強豪・埼玉栄出身だけに、レスリング道場に顔を出すと、すぐに気持ちが変わった。そこでは、時には厳しく、楽しく、大勢の子供たちが伸び伸びとレスリングをやっていた。その中には、将来が楽しみな田所選手のような“ダイヤモンドの原石”も大勢いた。
「指導というより、自分ができることを中心に今年の1月から教え始めました。そんな年に、北海道で全国大会だなんて…」。小西コーチはこの不思議な縁を日々感じているという。
今年は母校・埼玉栄高レスリング部が創立40周年という節目の年。6月には昨年のインターハイ団体王者である花咲徳栄を破って5年ぶりにインターハイ出場を決め、7月15日には創立40周年の祝賀会が盛大に行われたばかり。
そんな年に、OBである小西コーチは再び、レスリングとともに生活を歩んでいる。「レスリング指導に携わり、そして教えた子供たちがメダルを持って帰ってきた。そんな子供たちに巡り合えてよかったと思っています」。
次の目標を問うと、「自分で日本一の選手を出すこと」とどっぷりレスリングに浸かった目標を掲げた。「現役時代、北海道の選手と対戦することを“ラッキー”だと思っていた。そんな僕が今、北海道を強くしたいと思っている。その強さを他県に見せつけたいです。特に恩師の野口(篤史)先生にアタックしたい」と、母校への挑戦することを宣言した。