2013.01.17

【特集】納得できない判定をエネルギーに変え、世界へ挑む…男子グレコローマン55kg級・尾形翼(ALSOK)

※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。

(文=樋口郁夫)

 4-0でリードしたはずが、チャレンジ(ビデオチェック要求)されて出た結論が0-1で相手のリードへ-。「え?」と思うような展開で全日本王者を逃したのが、男子グレコローマン55kg級の尾形翼(ALSOK=右写真)だ。

 試合直後は悔しさと納得できない気持ちとで泣き崩れた。1ヶ月近くたった今、その判定を振り返る。「納得できなかったことは間違いありません。でも、力不足だったことも事実です。今は、次につながる負けだったのかな、と思っています」。

 悔しさこそが飛躍のエネルギー。「あの負けがあったからこそ今がある」と言える日を目指し、気持ちを切り替えて6月の全日本選抜選手権を目指す。

■納得できない判定だったが、世界選手権出場への気持ちが強くなった

 問題の判定は、田野倉翔太(日体大)との決勝の第2ピリオド。パーテール・ポジションの防御だった尾形が立ち上がって反撃を試みたことから始まる。相手の背中が2度マットに向き、当初はその2度が尾形のポイントと判定されて4-0となった。

ビデオチェックの結果、2度とも尾形のポイントではなく、逆に相手のコレクトホールドのみがポイントとして有効となった(ルール解説・動画)。最低でも2-0で自分のリードだと思っていたが、0-1になるとは思っていなかった。試合後の数日間は、この判定のことで頭がいっぱいだったという。

 年が明けて全日本合宿が始まる頃には、「いつまでもそれじゃあ駄目だ」と思うようになり、「世界選手権へ出たい」という気持ちが以前よりも強くなっていることに気がついた。「あの判定のおかげと思えるようになりました」と、前を向くエネルギーに変わってくれた。

■学生王者になっても満足感はなし、常に上がいた学生時代

 レスリングを始めたのは小学校3年生の時。6年生までやって全国大会2位が最高。中学ではレスリング部がなかったためスポーツは何もやっていなかったが、山形商高では、小学校時代にレスリングをやっていたことを知った顧問の先生の誘いで再びレスリングの道へ。3年間のブランクは大きく、「小学校4年間の経験はまったく役に立ちませんでした」。

 それでも最後の国体で2位へ。日体大から声がかかり、進学して続けることにしたが、当初は先輩との実力差にあ然とした。最初の新人戦で優勝したものの、「部内で強い選手がいっぱいいたので、自信にはまったくなりませんでした」。

その気持ちは、着実に実力を伸ばして3年生(2008年)で学生二冠(全日本学生選手権、全日本大学グレコローマン選手権)を制しても変わることはなかった。この年から、のちにロンドン五輪代表となる長谷川恒平選手が日体大大学院生として練習に参加したこともあり、学生ナンバーワンになっても「本物の実力ではないと感じていました」と、常に上との差を感じた学生時代だった。

 4年生の時(2009年)は全日本学生選手権で優勝を逃す不覚。最後は部員の不祥事によって部が活動停止となり、学生の総決算をすることができずに卒業となった。「こんな状態で終わりたくない。できるところまでやってみよう」という気持ちになったが、不祥事を起こしたチームの選手には、就職面でハンディがあったのは間違いないだろう。結局、いわゆる“フリーター”として生活しながらレスリングを続けることになった。

 こんな状況では実力養成も難しく、2010年は2大会(全日本選抜選手権、全日本選手権)とも上位入賞ならず。前年の学生王者ということで出場できた世界学生選手権(イタリア)でも初戦敗退。このままなら世界を目指すこともなかったかもしれないが、日体大の松本慎吾監督の推薦により、ALSOKへの就職が決まった。

■国際舞台で結果を出し、採用してくれた会社へ恩返し

 ALSOKの大橋正教監督は「(当時所属していた)笹本睦選手からも話があり、こつこつとやる努力家とのこと。ウチの社風にぴったりだったの採用しました」と振り返る。これで生き返った。“フリーター・レスラー”だっただけに、環境が整った中ので練習のありがたさを痛感。この思いが実力アップにつながる。

2011年は全日本選抜選手権、全日本選手権ともに3位。昨年6月の全日本選抜選手権で優勝し、世界を目指すスタートラインに立つことができた。「何かがひとつでも狂っていたら、いまレスリングをやっていなかったですね」と振り返った尾形は、「ALSOKにお世話になってから、まだ結果が出せていません。頑張らないとなりません」とも言う。

 全日本選抜選手権優勝という結果を出していることを指摘されると、「いやぁ…」。長谷川らの世界トップ選手の中でもまれている選手にとっては、世界で好成績を挙げることが「結果を出した」であり、全日本レベルの優勝は通過点であって「結果を出した」という感覚はないのかもしれない。

 昨年9月にはゴールデンGP決勝大会(アゼルバイジャン)でアゼルバイジャンやカザフスタンの選手を破って5位へ。「結果を出す」ためのベースはできた。この基盤をどうつなげていくか。「強烈な差し、押しを身につけ、相手に崩されない強さを身につけたい」と言う。

 この冬は初めて全日本のメンバーとしての海外遠征(「デーブ・シュルツ国際大会」ほかに出場)で実力アップをはかる。納得できない判定の悔しさを胸に、“元フリーター・レスラー”が世界へ挑む。