※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文・練習撮影=保高幸子)
2009年に国体で優勝し、「ポスト笹本(睦=当時ALSOK、五輪3度出場)」の一人と言われた城戸義貴(自衛隊=右写真)。間違いなく上位にはいたが、ロンドン五輪には手が届かなかった。
27歳という年齢からして、引退も考えた。だが、今までやってきたことと、五輪を意識した時のことことを思い出し、あと4年間、頑張ることを決めた。
「そうだよな。自衛隊に入る時、ここでオリンピックを目指すんだ、と思ったのに、まだ全日本も取っていない。国際大会にも出ていない。ここでやめるわけにはいかない。このままでは熊本に戻れない……。戻りたくない!」。“たたき上げ選手”の新たな挑戦が始まった。
■松本隆太郎の壁にはね返され続けた4年間
ロンドン五輪で銅メダルを獲得したのは、笹本を下して日本代表となった松本隆太郎(群馬ヤクルト販売)。城戸は松本の1学年上であり、学生時代には数回勝利。城戸にとって松本は、“ライバル”と言うより、“下から追い上げてくる後輩”と言える存在だった。
2009年1月、東京で行われた“カレリン教室で、アレクサンダー・カレリン(ロシア)と闘う城戸
昨年の全日本選手権で優勝か2位になれば、城戸がオリンピック予選へ出場する道もあった。国体優勝の実績をもって臨んだが、またしても準決勝で松本に敗れ、その夢はかなわなかった。「いつも『チャンスはある』『勝てる』と思ってやっていたんですが、技術が粗く、詰めが甘かった」と振り返る。
ロンドン五輪への可能性が断たれ、「気持ちが切れた」と城戸。引退を考え、両親にその気持ちを話した。両親の「もうすこし頑張れ」という激励を受けた城戸は、そこで自分がレスリングを続けていた意味を考えたという。
■体育学校の指導は「ここばオリンピックを目指すところ」
城戸は早生まれで、大学3年生の時(2005年)に出場できたJOC杯で松本を決勝で破って優勝したが、それ以外には高校、大学時代に全国タイトルがなく、大学卒業後は引退しようと考えていた。しかし、同じように成績を残せなかった先輩達が自衛隊に進んで強くなっていく姿を間近で見ていた。
全日本選手権初優勝を目指し練習に余念がない城戸
藤村の背中が目に入ってきたこともあり、実績がないながらも目標にしていた笹本に追いつきたいという気持ちが強くなった。「オレも強くなりたい、と思いました」。一般入隊し、まず自衛官としての心構えを持つための半年間の新隊員教育を受け、その後体育学校で半年間の教育を受け、2008年春に体育学校に入校した。
「体育学校の教育を受けている時に、『ここは五輪を目指す所だ』と言われたんです」。両親の言葉をきっかけに、自衛隊に入隊した時の気持ちを思い出し、再び五輪を目指す気持ちになった。
■峯村に負けた屈辱を国体で晴らした
再起の第一戦は今年6月に行われた全日本選抜選手権。五輪を控えた松本が出場しておらず、同門の倉本一真(自衛隊)との一騎打ちとなるだろうと予想されていた。どちらかが日本一をとる、というのが周囲の予想だった。ところが、その2人とも55kg級から上げてきた峯村亮(神奈川大職)に敗れるという結果。
「(峯村が)準決勝で倉本を破って驚きました。階級が下の選手には負けられないという思いで、興奮してしまいました。冷静に試合できれば…。負けてしばらくはぼう然としていましたね」と苦い顔。冷静に集中して試合を運ぶと言うのは課題の一つだ。
また、「一撃必殺、バーンと相手を投げたり倒すしたりする方が好きなんです」と言う。力が強く、それを活かしたパワーレスリングをしてきた。しかし、国内ではすべて研究されており、また、ルールも味方してくれない。「組んだら自信があるんですが、組ませてくれないですね」と、自分がやりたいレスリングは長らくできていない。
10月の国体で宿敵にリベンジして優勝した城戸(写真は決勝の太田忍戦)
だが自分の気持ちをコントロールし、ストレートで峯村を下すことができた。「組み手の練習の成果も出せました。全日本選手権につながる内容だったと思います」と自信を見せる。同時に“国体2連覇”と箔(はく)もついた。
かくして、初の全日本王者に向けて意気込む城戸。もうすぐ28歳、ベテランと言われるところに来た。「松本隆太郎がいない大会で、またくすぶっているようなら五輪なんて目指せない」と、自分にハッパをかける。「こんどこそ、オレの番だ」。たたき上げ選手のリオデジャネイロ五輪への道は、今年の全日本選手権から始まる。