2012.09.13

【特集】湯元進一・健一兄弟が2015年和歌山国体を視野に、現役続行を示唆

※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。

(文・撮影=増渕由気子)

和歌山出身の3人の五輪銅メダリスト。左から湯元進、太田、湯元健

 双子で2度目の国体ダブルVへ! 史上初の五輪双子メダリストとなったロンドン五輪男子フリースタイル55kg級銅メダリストの湯元進一(自衛隊)と、2008年北京五輪男子フリースタイル60kg級銅メダリストでロンドン五輪同級5位の湯元健一(ALSOK)が、地元・和歌山に初凱旋。

 8日に市内のホテルで盛大に行われた「湯元兄弟ロンドン五輪報告会」に出席し、翌9日には2015年に開催される“紀の国”わかやま国体の開催決定イベントにゲストで登場。地元のファンに五輪での活躍を報告した。

■銅メダリストが3つ並んだ報告会

 湯元進が獲得したロンドン五輪銅メダルは、和歌山勢として4つ目の銅メダルとなった。同県勢の銅メダル第1号は、1984年ロサンゼルス五輪グレコローマン48kg級の斎藤育造氏。第2号は1996年アトランタ五輪フリースタイル74kg級の太田拓弥・現早大コーチ。そして第3号は湯元健だ。

 湯元兄弟は中学~高校時、アトランタ五輪でメダルを獲得したあと県の教育委員会に在籍していた太田氏に直接指導を受けた。故郷を離れても、2人の五輪に対する基本方針は和歌山にいたころと変わることはなかった。「全力で闘う」―。二人の口癖でもある「全力」という言葉は、太田氏から受け継がれた、試合用のハンカチに刻まれている言葉だ。

和歌山のキッズ選手に勇気を与えた湯元兄弟

 報告会の目玉企画として銅メダル師弟コンビのトークショーが行われ、それぞれ銅メダルを首にかけて登場。アトランタ、北京、ロンドンと3つの銅メダルが横一文字に並んだ。

 トークショーは関西人ならではのコミカルな話題で次々と会場を笑いに包んだが、最後は、太田氏が会場の総意をくみ取り、今年12月に28歳になる2人の進退についてストレートに質問をぶつけてくれた。

 太田氏が「私はアトランタ五輪でメダルを獲ったあと、1年半ほど休んでしまった。それが影響して次の五輪には行けませんでした。2人にはそうならないようにしてほしい。3年後の2015年には和歌山国体がありますし」と切り出すと、湯元進は「地元の国体には絶対に出たい。けがしていようが何しようが、絶対出ます」と即答。湯元健も「僕も和歌山で国体があるのは素晴らしいと思うので、出たいです」と、31歳で迎える和歌山国体への出場意思を表明。会場は大いに盛り上がった。

 太田氏は、2006年兵庫国体に36歳で出場し、2009年新潟国体には39歳でマットに上がり、現役時代と変わらぬガッツある試合で3位となって地元の得点に貢献している。45歳で迎える地元国体では。「84kg級で出場したい」と意欲を見せた。

 実現すれば、同県から3人ものメダリストが国体に出場するのは前代未聞。地元のファンと関係者は3年後が待ち遠しい限りだ。

■進一は次の五輪も狙うとキッパリ

 湯元兄弟は翌9日、ロンドン五輪の男子グレコローマンの伊藤広道監督(自衛隊)とともに、2015年の和歌山国体の開催決定記念イベントに登壇。ロンドン・パラリンピック競泳男子100メートル平泳ぎ銀メダルの中村智太郎選手も帰国直後ながらかけつけ、首から重たそうな銀メダルをかけて登場した。

グレコローマン五輪代表チームの伊藤広道監督(右から2人)、パラリンピック出場の中村選手とともに。

 中村選手はアテネから3大会連続でパラリンピックに出場し、アテネは銅、北京はメダルなし。その後、両膝を手術して見事にカムバックし、ロンドンで銀メダルとサクセスストーリーを持つ選手。湯元兄弟と同い年で3大会も大舞台を踏んだ中村選手には、湯元兄弟も「すごい」とうなり脱帽するほどだった。

 前日同様、今後の去就や和歌山国体への参加意思について話を振られると、湯元健は「少し休みをもらって、2015年にはまた兄弟でレスリング競技を盛り上げたい」と話すと、湯元進は2大会連続出場の兄や3大会連続出場の中村選手に触発されたのか、「次の五輪はもちろんですけど、2015年の和歌山国体は必ず出て優勝します!」と、リオ五輪と国体のダブルを優勝を宣言した。

 中村選手は「(日本に)帰ってきたばかりでリオはまだ考えていないけど、足が持つ限り競技を続けたい」とアテネ銅、ロンドン銀に続いてリオでの金メダル獲得を目標に掲げていた。