2012.08.21

【写真集】米満達弘(自衛隊)、オリンピック・チャンピオンへの道

※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。

【2003年】=山梨・韮崎工高2年
2年生のインターハイは63kg級(当時の階級区分による)に出場し、3回戦で高塚紀行(茨城・霞ヶ浦)にフォール負け。全国高校生グレコローマン選手権は決勝トーナメント2回戦で敗れ、国体は準決勝で藤本浩平(静岡・飛龍)に2-4で敗れる。
【2004年】=山梨・韮崎工高3年
全国高校選抜大会は3回戦敗退。インターハイは決勝へ進んだものの、大沢茂樹(茨城・霞ヶ浦)にテクニカルフォール負け。しかし全国高校生グレコローマン選手権では7試合を勝って優勝。国体もグレコローマンに出場し、4試合に勝って、高校生の有終の美を飾った。
【2005年】=拓大1年
 JOCジュニア選手権は5回戦で大学の先輩の藤本浩平に黒星。リーグ戦は8試合すべてに出場し、7勝1敗。同期のインターハイ66kg級王者の宮原崇(秋田商高~明大)を破る。全日本選抜選手権は再び佐藤吏に敗れ、全日本選手権は藤本浩平に敗れるなど、まだ先輩とは差があった。しかし東日本学生秋季新人選手権は両スタイル優勝と、大器の片りんを見せた。
【写真左】東日本学生リーグ戦で前年学生二冠王の佐藤吏(赤=早大)と対戦。0-2で敗れるも、1-1L,0-1と善戦。【写真右】リーグ戦は拓大が3年ぶりの優勝。7勝1敗と貢献し、勝利の美酒を味わった。
【写真左】全日本学生王座決定戦では74kg級で起用され、学生王者のマキシモ・ブランコ(赤=日大)に善戦。【写真右】全日本選手権は3位(右から2人目)。初優勝で感激にむせぶ佐藤吏の横で悔しさをかみしめた。
【2006年】=拓大2年
JOC杯ジュニア選手権で優勝し、世界ジュニア選手権への挑戦権を獲得。東日本学生リーグ戦ではこの年に60kg級世界3位になる高塚紀行(日大)に敗れる。全日本選抜選手権で2004年アテネ五輪代表の池松和彦を破る殊勲を挙げて2位(決勝の相手は小島豪臣)。世界ジュニア選手権は2回戦敗退。全日本学生王座決定戦では2年連続学生王者の佐藤吏(早大)を撃破する殊勲。国体でも破った。全日本選手権では、またも池松を破るが、同じく小島に敗れて2位。
【写真左】前年秋の新人戦に続き、JOC杯ジュニア選手権で優勝。同世代間で地位を確立。【写真右】藤本浩平との併用だった東日本学生リーグ戦。予選は3戦全勝。
【写真左】東日本学生リーグ戦で高塚紀行(赤=日大)と対戦。1-2(1-0,0-1,1-1)で敗れる。【写真右】全日本選抜選手権はアテネ五輪代表(池松和彦)を破るも、決勝で小島豪臣に敗れた。
【写真左】全日本学生王座決定戦では2年連続学生王座の佐藤吏(早大)を破る。【写真右】アテネ五輪代表を再び破って決勝へ進んだ全日本選手権。またも小島豪臣に屈する。
【2007年】=拓大3年
全日本2位が認められ、全日本チームの冬の遠征に参加。ヤシャ・ドク国際大会で2位へ。全日本選抜選手権は大学の1年先輩の藤本浩平に敗れて3位。しかし全日本学生選手権では藤本を破って優勝。大きな壁を越えた。全日本大学選手権は74kg級に起用されて2位、全日本選手権は2戦2勝の池松和彦にリベンジされて3位。北京五輪出場の道が断たれた。
【写真左】全日本2位が認められ、全日本の冬の欧州遠征に参加。ヤシャ・ドク国際大会(トルコ)で、この年に世界王者に輝くことになるシャヒン(トルコ)に敗れて銀メダル。【写真右】シニア初の国際大会で銀メダルは立派。しかし、表彰式では悔しさのあまり、顔を1度も上げてくれなかった(左端)。
【写真左】全日本学生選手権では大学の1年先輩の藤本浩平を破って優勝。大きな壁を越えた。【写真右】全日本選手権では池松和彦(1位)にリベンジされて3位。池松と2位の小島に五輪の挑戦権が与えられ、米満の北京五輪出場が消えた。
【2008年】=拓大4年
主将に推された年。2月のデーブ・シュルツ国際大会(米国)ではチーム最高の5位へ。東日本学生リーグ戦は時に74kg級に起用されて6戦全勝ながら、チームはブロック2位で優勝を逃す。全日本選抜選手権は決勝で小島豪臣に敗れて2位。小島には学生の大会を含めて4連敗で、“天敵”となった。7月には世界学生選手権へ出場して見事に優勝。全日本学生選手権でも優勝し、文部大臣杯を獲得。須藤元気監督就任直後の全日本大学選手権でも勝って学生間無敵へ。全日本選手権でも初優勝。
【写真左】デーブ・シュルツ国際大会(米国)で5位に入賞して帰国。【写真右】主将として臨んだ東日本学生リーグ戦。自身は全勝だったが、優勝ならず。
【写真左】世界学生選手権で稲葉泰弘(左)、大沢茂樹(中)ととも金メダルを獲得。【写真右】全日本学生選手権で優勝し、最優秀選手に授与される文部科学大臣杯を受賞。
【写真左】全日本大学選手権でも優勝し、学生二冠王へ。【写真右】決勝で森川一樹を破って全日本選手権初優勝。
【2009年】=自衛隊
2年ぶりに全日本チームの冬の遠征に参加し、ヤシャ・ドク国際大会(トルコ)で優勝。5月にアジア選手権ではタガビー(イラン)に敗れながらも2位へ。全日本選抜選手権で池松和彦らを破って優勝し、世界選手権出場を決める。世界選手権ではロシアに敗れながらも銅メダルを獲得し、日本の連続メダル獲得を3大会とした。しかし肩のかげを完治させるため、全日本選手権は欠場。
【写真左】ヤシャ・ドク国際大会(トルコ)優勝のあとのダン・コロフ国際大会(ブルガリア)では2回戦敗退。【写真右】アジア選手権で銀メダル。2位でもカメラに目線を向ける“社交術”を身につけた!
【写真左】初出場となったデンマークでの世界選手権。ロシアに敗れたものの、3位決定戦でインドを撃破。ロンドン五輪決勝で闘うことになった相手だ。【写真右】世界王者タガビー(イラン)と並んだ表彰式。
【2010年】=自衛隊
けがの治療で欠場した全日本選手権で優勝したのはアテネ五輪代表の池松和彦。米満は全日本選抜選手権決勝とプレーオフで池松を連破して世界選手権の出場権を奪取。準決勝では小島戦5試合目にして初めて勝つ(不戦勝を除く)9月の世界選手権ではキューバに不覚を喫して初戦敗退だったが、12月のアジア大会で前年の世界王者タガビーを破り、フリースタイルに4大会ぶりの金メダルをもたらした。全日本選手権では決勝で小島豪臣を破って優勝。小島には2連勝で、苦手を克服。
【写真左右】けがを完治させて臨んだ全日本選抜選手権。本戦とプレーオフで池松和彦を破り、2年連続での世界選手権出場を決めた。
【写真左】世界選手権ではキューバの変則スタイルに調子が出ず、0-2(0-1,1-2)で初戦黒星。【写真右】約2ヶ月半後のアジア大会では見事に優勝。
【2011年】=自衛隊
アジア大会王者となり、押しも押されもせぬ日本のエースとなった米満。全日本選抜選手権で優勝して世界選手権へ。欧州1、2位などを順調に下したが、決勝でアジア大会で勝ったタガビー(イラン)に敗れ、無念の銀メダル。このあとの全日本選手権で優勝し、ロンドン五輪代表を決めた。
【写真左】世界選手権決勝。タガビーの防御中心の闘いを破れず、0-2(0-1,0-3=2:05)で敗れる。【写真右】この銀メダルには笑顔なし。プレゼンテーターの福田富昭会長から激励されたが、最後まで険しい顔だった。
【写真左】全日本選手権決勝の相手は五輪2度出場の池松和彦。フォールで快勝し、ロンドン五輪代表を決めた。【写真右】最優秀選手に与えられる天皇杯を受賞。