※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
【ロンドン(英国)、文・撮影=保高幸子】ロンドン五輪の男子グレコローマン最後の決勝(96kg級)は、金メダル2つで並ぶイランとロシアの闘いになった。3つめの金メダルを勝ち取ったのはイランのガセム・レザエイ。ロシアを破って頂上に立った瞬間、勝利の雄叫びをあげた。(右写真)
その横ではコーチは3本の指を立ててイランのグレコローマン3階級制覇をアピールした。会場には多くのイラン応援団がおり、歴史的快挙に観客席も大盛り上がり。レザエイはいつまでも観客席の同胞にウィニングランをしてみせた。
「イランがロシアより多くメダルを獲った事はいままでなかったので誇りに思う。イランの人々を喜ばせることは、自分が金メダルを取ったことよりも意味がある」と話したレザエイ。彼にとってもイランにとっても、これはただの金メダルではなかった。北京五輪では両スタイルともメダル0。レスリングが国技と言われるイランにとってこれほどの屈辱はなかった。
グレコローマンで五輪金メダルを獲得するのは今大会が史上初。そのうえでの金メダル3つだ。初日に世界5連覇の55kgのハミド・スーリヤン、2日目に昨年世界王者の60kgのオミード・ノールージ。そしてこの日のレザエイ。イランではフリースタイルが人気があり、強かった。グレコローマンの五輪メダルは40年前の銀メダル以来。
優勝したレザエイをコーチが祝福のそり投げ(撮影=矢吹建夫)
■イランの3番手選手、腐らずに練習してチャンスを待った
ロシアとの「大将戦」を制したレザエイは2007年世界選手権3位の実績があるが、北京五輪は16位。その後ジュニアの選手が育ち、2010年世界選手権はアミール・アリアクバリが優勝し、同年の広州アジア大会ではボバック・ゴルバニが優勝。レザエイは3番手の立場になり、3年間はナショナル合宿にも呼ばれず所属で練習をしていた。
アゼルバイジャンへの「移籍」もうわさされた。ところが転機が突然訪れる。2011年6月にイランで行われた国際アンチドーピング機構(WADA)による抜き打ち検査だ。そこでこの階級の上位2人の検査が行われ、2人そろって陽性反応。2人の2年間の出場停止が決定し、ロンドン五輪に間に合わないことになった。
イランの応援団に優勝をアピールするレザエイ
しかしチームはスーリヤン不在の中でも軽量級2人が金メダルを獲り、ロンドンへ向けてチームの士気は一気に高まった。「チームの中ではこうなることは希望ではなくて、去年の世界選手権の時から確信がありました」とレザエイ。チーム一丸となって見事、五輪の“団体戦”での優勝を成し遂げた。
来年2月には首都テヘランで男子両スタイルのワールドカップが開催される。女子レスリングを認めていないイランでは、3スタイル同時開催のアジア選手権や世界選手権を開催することができない。スタイル別に開催されるワールドカップはイラン国内で開催できる唯一のビッグイベントだ。
自国でのワールドカップ優勝には絶好のタイミング。このメンバーが五輪の熱を自国で再燃させるだろう。