※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
中央に父・静人さんと母・眞智さん
初戦敗退という結果に終わったが、息子が情熱をかけたマットを最後まで見届けようと、第2セッションのファイナルまでしっかりと観戦。静人さんは「ご苦労さま、お疲れさまと言いました」と息子の労をねぎらい、眞智さんは「ありがとう、と言いました。頑張る姿を見せてもらいましたから」と息子に感謝。
部類の努力家だからこそ、無名の存在から五輪のマットに立つことができた。眞智さんは「決めたことはやり抜く、決めないことはやらない、という子だったんですよ」と笑う。そうした初志貫徹の気持ちが五輪へつながったと思われるが、「いえ、周りのみなさんのおかげです」と、自衛隊をはじめとした周りのサポートに感謝した。
徳山大で藤村を指導した守田武史監督は、大学を卒業して自衛隊への進路を選んだ時は、ここまで来るとは思っていなかったという。「オリンピックに連れてきてもらえて感謝しています。足腰にけがだらけという状況でオリンピック出場を決めた。彼なりの最高のパフォーマンスを見せてくれたと思います」と評価した。
「西日本の大学からもやってくれました。30歳という年齢なので、今後はどうかな? 階級を上げれば、まだできると思います。4年後を考えることなく、1年、1年を頑張っていけばいい」と“三十路の選手”を期待。
74kg級での現役続行を期待するのは、自衛隊で藤村の採用を決めた宮原厚次・前監督も同じ。「減量なしで闘うこともいい。できないことはない」と、部類の努力家がゆえに、ひと花咲かせてからマットを降りてほしいと願っている。ただ「本人の気持ち次第。中途半端にはやらないでほしい」とも。
「地道にこつこつやってきた選手。自衛隊はオリンピックを目指すところだ、と言い続けてきたことを実現してくれた。浮き沈みがあったけど、執念で乗り越えましたね。よく頑張りました」と、労をねぎらった。