2012.08.06

【ロンドン五輪第1日・特集】イラン・グレコローマンに歴史的な勝利…ハミド・スーリヤン

※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。

(文=保高幸子、撮影=保高幸子、矢吹建夫)

 レスリング大国で知られるイラン。しかしそのイメージはフリースタイルが築きあげてきたもので、これまでグレコローマンの五輪金メダルの獲得はなかった。グレコローマンでの五輪メダルは1972年ミュンヘン五輪の銀メダル以来40年ぶり。イランに記念すべきグレコローマン初めての五輪金メダルをもたらしたのは2005年以来世界選手権5連覇のハミド・スーリヤン(右写真)となった。

 スーリヤンは08年北京五輪を世界選手権3連覇で迎え、スター選手となった。優勝の大本命と思われたが、5位という不本意な結果に終わった。心が折れ、半年間以上もレスリングから離れていたという。それでも翌年の09年世界選手権には復帰し10年まで連覇。王者ここにあり、を見せ、ロンドン五輪へのステップを始めたように見えた。

 しかし2010年広州アジア大会準決勝で長谷川に敗れ、5位に。それ以来、2011年の世界選手権には不出場。2012年五輪アジア予選でも長谷川に敗れ、5月のワールドカップ(ロシア)でも全勝とはならず、五輪を前にピークを過ぎたと思われた。ロンドン五輪では大本命からははずれ、何人かいる優勝候補の1人となっていた。

 長谷川との対戦成績は1勝2敗と分が悪く、準決勝で当たれば、これが事実上の決勝となっただろう。最近の対戦成績からして長谷川に有利と思われていたが、長谷川の3回戦敗退でその可能性が消え、「スーリヤンにいい風が吹いた(イラン記者)」。

■母の誕生日に五輪金メダル獲得

 スーリヤンは初戦こそピリオドをとられたものの、その後は危なげなく勝ち進んだ。決勝では昨年の世界チャンピオン、バイラモフ(アゼルバイジャン)をもストレートで下し、文句なしの五輪王者となった。腰のけがを抱えているものの、よく仕上げてきていた。

 勝った瞬間、喜びを噛み締めるかのような表情を見せたスーリヤン。「この瞬間を15歳の時から待ち望んでいた。北京での経験がここまでのモチベーションとなりここまでたどり着けた。母の誕生日なので、このメダルは母にプレゼントしたい」と淡々と語った。敗戦があったからこその優勝だった。

 次の五輪について聞かれると、「まだ27歳で次もできると思うが今は決められない。減量がきついので、もしかしたら60kg級にあげて挑戦していくかもしれない」と前向きな姿勢も見せた。

 退場口にはたくさんのイラン人応援団が集まり盛大な祝福を受けたスーリヤン。イランの人々が彼の引退を許さないだろう。イランのグレコローマンを牽引してきた立役者であるスーリヤンは、今大会で歴史の人となった。今後も日本選手のライバルとなる可能性は高い。

決勝のバイラモフ戦にローリングを決める

優勝を決め、喜ぶスーリヤン