※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=増渕由気子)
国内で最も激戦階級と言われる男子フリースタイル60㎏級。2008年北京五輪では湯元健一(ALSOK)が銅メダルを獲得し、世界で通用する階級であり、次々とスターが生まれる階級でもある。
北京五輪後、湯元は負傷の治療などで一時的に戦列を離れ、同級は新しい時代に突入した。ポスト湯元に真っ先に座ったのは当時日体大の学生だった前田翔吾(ニューギン=右写真)。2009年は世界選手権(デンマーク)にも出場、5位と健闘。同級のニュースターとして注目された。
■2010年全日本選抜のプレーオフ敗戦で歯車が狂う
このままロンドン五輪の最有力候補で走り続けると思われたが、その後、チーム事情で約半年間、公式戦に出場できない事態に見舞われた。欠場した2009年全日本選手権は、同じ学生の小田裕之(国士舘大ク)が優勝。闘わずして王座を明け渡してしまった。出場制限が解けた2010年5月の全日本選抜選手権で実力どおりに優勝したが、小田とのプレーオフで力尽き、2年連続の世界選手権出場を逃してしまった。
日体大で練習に励む前田
学生時代、前田は藤本英男前部長から「理詰めのレスリングができる選手」と評されていた。「以前は組み手や前に出るレスリングで、流れを重視していたのに、スランプ時は、アタックすることばかり考えていて、自身のスタイルが崩れてしまった」と分析。前田の最大の売りだった試合の組み立てが後手に回っていたことが不調の原因だった。
スランプの原因を明確にした今では、試合の流れを第一に考えて全日本選手権への仕上げを行ってきた。一時は失った自信も、徐々に取り戻しているようで、「本番まであとわずかしかないけど、自分が思っているところに近づいている」と話す。
■世界5位だった2009年秋より「ずっと強くなっている」
相手が完全にディフェンスに回ったときは、無理にでも攻める必要があるかもしれないが、そうした試合ばかりではない。その前に、試合の流れを第一にすることとし、全日本選手権へ向けての仕上げを行っている。
一時は失った自信も、徐々に取り戻している。「本番まであとわずかしかないけど、自分が思っているところに近づいている」と話す。
10月の国体で勝ち、自信を取り戻した前田(赤)
前田の自信に繋がっているのは、学生時代と同じ練習をこなしていること。OBになると練習の時間や量を拘束されず、実際に朝練習に出なかったり、出げいこに行くOBも少なくない。その中で「どのOBよりも間違いなく日体大の練習に出ています」と言い切る。
■湯元健一へ4年半ぶりのリベンジなるか
その練習量を武器に、全日本選手権では3年ぶり2度目の優勝を目指す。前田にとってヤマ場となるのが、9月の世界選手権で銅メダルを獲得し、ロンドン五輪出場権に王手をかけている湯元健一だ。
「湯元先輩とは、2007年の全日本選抜選手権の2回戦で1度だけ対戦したことがあります(勝負はストレートで敗退)」。最大の壁、湯元と同じ練習拠点で常にライバルを直接研究できる。だが、逆に湯元の強さも痛感してしまう。
「湯元先輩に3連勝する気持ちになると、悲壮感がありますが、僕は世界選手権で湯元先輩が五輪の権利を取ってきても取って来なくても、12月の全日本選手権で優勝すると決めていました。優勝を目指します」。
前田の敵は湯元ではない-。前田翔吾が3年ぶりの復活優勝を目指す。
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大 会 名 | 湯元健一 | 高塚紀行 | 小田裕之 | 前田翔吾 | 石田智嗣 |
2011年選抜 | 優 勝 | 3位(●石田) | 二回戦(●石田) | 初戦(●石田) | 2位(●湯元) |
2010年全日本 | 優 勝 | 2位(●湯元) | 3位(●湯元) | 三回戦(●松本桂) | 三回戦(●湯元) |
2010年選抜 | 3位(●高塚) | 2位(●前田) | 初戦(●石田) | 優 勝 | 3位(●前田) |
2009年全日本 | 3位(●小田) | 2位(●小田) | 優 勝 | (不出場) | 初戦(●湯元) |
2009年選抜 | (不出場) | 初戦(●小田) | 二回戦(●前田) | 優 勝 | ※66kg級 |
※選抜は全日本選抜選手権、全日本は全日本選手権
前田翔吾(まえだ・しょうご)=ニューギン |