2011.12.14

【特集】鮮明に思い出す北京五輪の熱狂! 燃えるのは今…男子グレコローマン84kg級・伊藤諒(自衛隊)

※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。

(文=保高幸子)

 全日本選手権のグレコローマン84kg級は、昨年アジア選手権2位の斎川哲克(両毛ヤクルト販売)が階級を上げ、今年の世界選手権代表の岡太一(自衛隊)が優勝の有力候補。国体3連覇の天野雅之(中大)が対抗となろうが、ここにもうひとり、地道に力をつけてきた選手がいる。伊藤諒(自衛隊=右写真)だ。

■トップ集団の自衛隊に進み、士気が上がった

 中学時代は柔道を経験し、岩手・種市高3年生の時にレスリングを始めた。柔道部がなく、レスリング部に勧誘されて「やってみようかな」と軽い気持ちで始めたという。柔道技も使えることで「面白いな、と思いました」。部の環境や恩師の影響でレスリングが好きになったという。

 高校時代の成績は全国高校選抜大会、全国高校生グレコローマン選手権などで3位に入賞したのが最高。全国タイトルはなかったが、勝てるようになり、もう少しレスリングを続ける気持ちになった。働きながらレスリングを続けたいとして、2006年に自衛隊に入隊した。

 高校の恩師のすすめもあり、入隊後、グレコローマンに専念した。1年目はJOC杯ジュニアオリンピックでの2位が最高。2007年もタイトルは取れずに終わった。しかし、トップ選手の集まる自衛隊では刺激を受けた。「トップの選手にトップのコーチがいて、自分もここでやれば…」と、士気が上がるのに時間はかからなかった。

2009年全日本選手権決勝で斎川と闘う伊藤(青)

■今年10月、シニア2度目の海外遠征で金メダル獲得

 伊藤にとって一番の転機となったのは2008年の北京五輪だ。96kg級で出場した加藤賢三(自衛隊)のパートナーとして北京入り。そこで伊藤の目に映った会場は、「自分もこういう場所で試合をしたい」という気持ちになるに十分な世界最高の舞台だった。「日本の大会の雰囲気と全然違いました。すごいな…と思って、憧れました」という。それまでは「遠いイメージ」だった五輪が、自分の目標となった。

 2009年は全日本レベルの大会で2度とも斎川に敗れ2位。2010年は3位が続いた。社会人の大会では何度か優勝しているが、全日本レベルの大会では優勝がなく、悔しい思いをしてきた。「長年2位、3位が続いて、一番感じたのは、2位と1位の差はすごく大きいということです。優勝したくて頑張ってきました」という。

 入隊5年目の今年10月、2度目の海外遠征に参加する機会に恵まれた。サンキスト・キッズ国際大会(米国)に出場し、国際大会初優勝を経験した。「気持ちが上がりました。2009年の最初のシニアの国際大会(NYACホリデー国際大会)では1回しか勝てなかったので…」。

■苦労の上に勢いがつき、頂点まで駆け上がるか

 もっとも、この優勝を手にできたのは、2年前に負けたことからこそだった。「崩しも何もできていなかったんです。練習方針を変えました」と、がむしゃらにやっていただけだった練習を一変。伊藤広道監督や元木康年コーチに負けた原因を指摘してもらい、強化し、今回の成果につながった。

全日本初優勝へ向けて汗を流す伊藤

 「自信がつきました」。優勝した事実は何よりも大きい。「今度の全日本選手権は、これまでで一番大事な試合です。ずっと2位、3位だったけど、ここで優勝しなければいけない」と話す。北京五輪をその目で見ただけに、そこに立つ自分の姿をより鮮明に想像できる。「最高の舞台で試合することを思い描いています。熱く指導してもらっているので勝ちたいです」と力強く話す。

 岡と天野の対策も万全。「考えるレスリングができるようになってきた」という伊藤。スタミナにも自信があり、国際大会の優勝で気持ちも上り調子。大学を卒業したばかりの若い力が渦巻くグレコローマン84kg級だが、この大事な場面だからこそ、苦労の上に勢いがついた伊藤がものにするかもしれない。

伊藤諒(いとう・りょう)=自衛隊
 1987年10月9日生まれ、24歳、岩手県出身、種市高卒。05年に全国高校選抜大会と全国高校生グレコローマン選手権で3位。自衛隊に進み、07年JOC杯ジュニアオリンピックで2位となってアジア・ジュニア選手権に出場。09・11年に全日本社会人選手権優勝。全日本選抜選手権と全日本選手権はコンスタントに上位に入賞している。今年の全日本選抜選手権は3位。171㎝。