※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
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宿舎近くの洋品店。売っているドレスは、保高記者には丈が長すぎるものばかり!
【9月15日(木)】
世界選手権は小原選手金メダル獲得の余韻を受けて中盤に突入。この日こそ女子3階級なので、2時開始でも十分にいいと思うのに、前日と同じ12時半。結果として第1セッションと第2セッションとの間が3時間半もあいた。こちらの人間はしゃくし定規にしかできず、臨機応変に物ごとをやれないのだろうか。
他にも、例えば記者席にスケジュール表を配りに来るスタッフ。2枚の表がある場合があって、その時は一人が1枚目を配り、2人目が2枚目を配るというやり方をやっている。100席を超える記者席にこれをやってくるので、かったるい。
「2種類あるから、2人で配って来て」とか言われて、1種類ずつ配ることしか思いつかなかったのではないだろうか。業を煮やした保高記者が英語と身振り手振りで「1人が2種類持ち、あっちとこっちから配っていけば、半分の時間で終わるわよ」という意味の“指導”をすると、「そうですねーーー」と驚きの表情。保高記者がものすごい天才に見えたのではないだろうか。
たまたまこのスタッフが「応用」ということのできない人だったのかもしれないけど、人間の能力には「応用」ということも重要な要素。子供の教育には、学校のテストの成績も大事だけど、社会でいかに応用できる人間に育てるかが大事かな、と思った。
女子だけの日はいつもそうだが、イランの報道陣がいなくなる。「記者席も寂しくなったね」と言うと、増渕広報担当が「樋口さんの頭がですか?」と聞きたそうな顔をして、急にげらげら笑い出す。こんな時、いつも来ている東京スポーツの中村亜希子記者なら、絶対にこうした態度はとらないよ。
中村記者は今回もイスタンブールに取材に来る気満々だった。しかし、会社の経済的な事情(なのかな、社員じゃないからよく分からないけど)で来られなくなり、とても残念がっていました。こちらも残念。小原、吉田、伊調の優勝をすべて取材してきた“戦友”であり(浜口の最初の2回は取材していない)、ブログのネタを最高に提供してくれた記者なのに…。今回のブログ、ネタに欠けるのは中村記者がいないからです。戦友を薄なった(失った)みたいで、寂しい…。
その中村記者から電話あり。保高記者も大喜びで、筆者から電話を奪い取り、「亜希ちゃ~ん!!!!」とほおずりするほど。次回からは絶対に来てね。
かわいいチャンと筆者。チャンと撮れているかな?
隣にいた増渕広報担当も東京の世界選手権の時に親しくなったようで、ツーショット写真をリクエスト。筆者がカメラを構えると、「チャンと撮るんだから、チャンと撮ってくださいよ」だって。また筆者の十八番を先にやられた。挑発しているとしか思えない。
チャンは5位入賞を逃がし、五輪出場キップ獲得は来年へ持ち越しとなった。きっと取ってくれるだろう。「ロンドンで会いましょう」と言って別れた。
第1セッションと第2セッションとが3時間以上も空いたので、近くにある大型スーパーへ食事に行く記者あり。保高記者に「サチもカリフラワーへ行くのか?」と聞いたら、「は?」。間違いました「カリフール」(海外では有名な大型スーパー)でした^^;
もっとも、歩道もなく駅から会場までの500メートルを行くのに遠回りで2キロも歩く場所で、どうやって行くのかな、との疑問がわいた。後でスポニチの首藤記者に聞いたところ、車道の脇を歩き、高速道路は車が途切れた瞬間を狙って横断したそうです。「ダッシュ力が勝負でした」と首藤記者。途中で転んだら、間違いなく100キロを超える車のえじきになったとのこと。私は絶対に行きません!
観客と警備員のかなり激しい衝突を目撃
でも、私は知っていました。警告を相手に与えて取ったポイントがあるので、吉田が勝つと。試合が再開され、ラスト3秒で吉田が相手を場外に吹っ飛ばして3-2。カナダが「タイムアップが先だ」とばかりにチャレンジ。結局、時間内だったわけですが(写真にはっきりと「1:59」というタイム表示が映っていました)。
それにしても、ラスト3秒で取りにって、実際にポイントを取るというのは、どんな実力なのでしょうか。
前日以上の混乱が予想されたので、増渕広報担当や木名瀬重夫コーチらと入念な打ち合わせ。そのかいあって、前日よりはスムーズに取材完了。打ち合わせもさることながら、前日の失敗が生きたんでしょうね。失敗は成功のもと。ものごとは失敗を恐れてはならないし、恥ずかしいとも、駄目だあ~、とも思ってはなりません。その経験こそが、成功につながるのですから。