2011.05.08

女子レスリングの“虎の穴”桜花道場(新潟・十日町市)が開設20周年

※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。

 女子のアジア選手権(5月19~22日、ウズベキスタン)と世界選手権(9月12~18日、トルコ)の日本代表を中心とした全日本女子チームが5月6日、新潟県十日町市の桜花レスリング道場で今年度最初の合宿をスタートした(11日まで)。
 
 翌7日には、十日町市で桜花レスリング道場の開設20周年の記念式典と祝賀会が行われ、選手を含めた約250人が、「金メダル量産工場」「虎の穴」とも言われる女子レスリングの基地の功績をねぎらい、今後の発展を祈願した。(右写真=FILAからの特別記念品を桜花道場運営の功労者、丸山秀二・日本協会副会長に贈る福田富昭会長)
 
 記念式典では、初めに東日本大震災で亡くなられた方の冥福をお祈りして黙祷が行われた。震災の被害は十日町市や隣の津南町におよんでおり、被災地からの避難者を受け入れている。式典の最中には日本協会から地元に激励の金一封が贈られた。
 
 その後、日本協会の福田富昭会長が「十日町市のみならず、新潟県のあらゆる方の協力を得て1991年5月の開設し、今日に至った。その間、女子の合宿は100回以上行い、アテネ五輪、北京五輪とメダルを量産できた。こうした形で20周年を迎えられたのは最高に幸せです」とあいさつ。十日町市の関口芳史市長が「廃校の利用が地域の活性化につながった。ここで鍛えた選手の世界選手権やオリンピックので活躍は、十日町市民に大きな感動を与えていただいた。大会の後には必ず十日町で報告会を開いてくれ、地域住民とも交流していただいている。様々なイベントに参加していただき、選手達は当地の誇りです」と祝辞を述べた。

 日本協会から十日町市の農業協同組合など桜花道場の運営に貢献してくれた13団体に感謝状が贈られた(右写真=農業協同組合経営管理委員会の澤口茂利会長とともに今後の飛躍を誓った伊調馨、坂本日登美、吉田沙保里、浜口京子の各選手)。また、国際レスリング連盟(FILA)から、道場の維持・運営に経済的に多くの貢献をなしてくれた日本協会の丸山秀二副会長(㈱丸山工務所会長)に特別記念品が贈られており、福田会長がラファエル・マルテュニティー会長の代理として贈呈した。
 
 新潟県の泉田 知事からビデオメッセージが寄せられ、「日本の女子レスリングのメッカが新潟県にあることを誇らしく思う」と祝福した。プロボクシングの元世界チャンピオンの具志堅用高さん、プロ野球の元読売巨人軍の中畑清志さんらゲストも祝福し、式典と祝賀会を盛り上げた。
 
 丸山副会長は「感慨深いです。アテネ・オリンピックの前にJOC(日本オリンピック委員会)の強化指定施設の看板が届けられ、そのあたりから脚光を浴びたが、それまでの10数年間は関係者以外からは注目されることはなかった。その時のことを思うと、こうして多くの人から認められ、祝福されることに隔世の感があります。オリンピックでいい成績を挙げることができたのは、福田会長の熱意があればこそ。コーチ陣が引っ張られ、引っ込み思案の十日町市民が積極的に支援してくれるようになったからだと思います。20周年を機に勇退を考えていたけど、いろんな人からお褒めの言葉をいただき、ここで退くわけにはいかなくなった。動ける限りは発展に尽力したい」と話した。

日本協会・福田富昭会長あいさつ 十日町市・関口芳史市長の祝辞 地元の支援者に感謝状を贈る福田会長
感謝状贈呈のアシスタントを務めた4選手 ゲストの中畑清志さん ゲストの具志堅用高さん

 


ありし日の桜花道場

1991年5月、オープン時の桜花道場。 1991年6月の合宿。左端の最年少の栄和人コーチが、現在は強化委員長。
1991年6月の食堂風景。その後、壁の向こう側に寝室スペースができた。 1991年8月の東京・世界女子選手権を前に記念撮影。 1993年5月の全日本合宿風景。
1994年8月には中高生の強化合宿も実施。 地元の人たちとの交流も頻繁に行われる(1998年5月)。
道場2階にあるトレーニング室で体力トレーニングに励む選手(1998年5月)。 2006年の名古屋・女子W杯直前の合宿。 金メダル坂でのランニングの伝統は20年間続いている(2006年5月)。
2006年7月にマット1面分を増築(工事中の写真) 増築部分の2階は選手の寝室へ。 現在の桜花道場。廃校が金メダリスト製造工場によみがえった。