※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文・撮影=樋口郁夫)
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1月16日に東京・青少年総合センターで行われた全日本マスターズ選手権のA(35~40歳の部)55kg級で初出場初優勝した岡田英雅さん(東京・ワセダクラブ=右写真)は、1991年の全国中学生選手権51kg級優勝をはじめ、群馬・関東学園高時代の1994年に全国高校選抜大会などで優勝した強豪だ。
プロ格闘家の山本KID徳郁(現KRAZY BEE)と同い年。KIDは岡田さんの一つ下の階級の全国中学王者だ。高校時代の同期には2004年アテネ五輪銅メダルの井上謙二(京都・網野高=現自衛隊)、同五輪代表の豊田雅俊(徳島・穴吹高=現警視庁)らがいた。順調にいけば、これらの選手とともに五輪を目指す人生が待っていた。
■早大入学の前日、体が動かなくなった!
しかし早大入学直後にギラン・バレー症候群という難病に襲われ、レスリングどころか、日常生活も普通にこなせるかどうかという事態に陥ってしまった。主に筋肉を動かす運動神経が障害され四肢に力が入らなくなる病気。重症の場合、中枢神経障害性の呼吸不全を起こし、一時的に気管切開や人工呼吸器が必要となるほど大変な病気だ。
岡田さんはその困難を克服。ふだんの生活を取り戻しただけではなく、在学中にマットに戻る驚異的な回復力を見せて2000年シドニー五輪を目指した。レスリングで鍛えた不屈の精神力で難病を克服し、実業界(インターネット関連会社)で成功をおさめたサクセス・ストーリーは、レスリング界屈指の感動ドラマと言えるだろう。
「久しぶりの試合出場。疲れました」と言いながらも、表彰台の一番高いところに乗って気持ちよさそう。その脳裏をよぎったのは、難病が何の前触れもなく襲ってきた日のことだったのではないか。「入学式の前日です。もう合宿所に入っていましたが、朝起きたら体が動かず、起きられなかったんです」。そのまま入院し、医師からは半年間の入院生活を宣告された。
レスリングどころではなくなった。それでも希望は失わなかった。若さのほか、レスリングで鍛えた体力のおかげだろう、車いす→歩行器→松葉づえと予想以上の速さで回復し、約1ヶ月半で退院。医師もその回復力に驚いたという(左写真=関東学園高で闘っていた頃の岡田さん)。
若さと培ってきた体力だけではなく、午前2時間、午後2時間の厳しいリハビリに真っ向から取り組んだことも大きかった。「関東学園高校の練習は厳しかったですけど、あの時のリハビリはそれ以上に感じました。歩けないということが本当に辛かった」と振り返る。当時の同高は、王者・霞ヶ浦に真っ向から挑めた数少ないチーム。その練習より「厳しかった」というのだから、その過酷さは想像を絶する。
■不完全燃焼だった学生時代に悔いが残り、全米チームの練習に参加
退院できたとはいえ、当初はとてもレスリングをやれる状況ではなく、医師からも「やっていはいけない」と伝えられた。しかしレスリング場に顔を出していると、「やりたくなってきました」。普通の生活に戻すリハビリではなく、レスリングをやるためのリハビリに取り組み、執念でマットに戻ってきた。
大学4年生の時(1998年)には全日本学生選手権や全日本選手権などにも出場。神奈川国体では群馬県代表として出場し3位入賞(いずれもフリースタイル58kg級)。ここまで回復したのだから、これだけでもすごいこと。しかし、さらに…。
「大学卒業でレスリングをやめるつもりだったんです。でも、大学時代が不完全燃焼だったので、シドニー五輪を目指してみたくなりまして…」。米国在住の八田正朗さん(日本レスリング界生みの親、八田一朗氏の長男)のつてで米国ナショナルチームが練習するコロラドスプリングズへ向かい、練習することになった。
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時の全米チームには、シドニー五輪で優勝することになる76kg級のブランドン・スレイ、54kg級銀メダルのサムエル・ヘンソン、58kg級銅メダルのテリー・ブランズ、69kg級銅メダルのリンコン・マキルレービなど、そうそうたるメンバーがそろっていた。かつてソ連に真っ向から対抗した「強いアメリカ」の最後の(?)時代。こうした中で練習の経験を持つ日本選手は、そう多くはいないだろう。
シドニー五輪の国内代表を決める1999年の全日本選手権は、「チームエクセルUSA」の所属で出場。五輪を目指したが、初戦で優勝候補筆頭だった石嶋勇次(綜合警備保障)に敗れるなどし、結局、五輪出場はかなわなかった。ここで現役生活にピリオド。今回はそれ以来のマットだったという(右写真=約11年ぶりのマットで優勝した岡田さん)。
■躍進・早大が後押しできるか、世界ベテランズ選手権の優勝!
選手を引退したあとは、会社を起業し、忙しさもあって運動する機会がほとんどない状況が続いた。半年くらい前から、ようやく週1回程度、早大の練習に顔を出せるようになった。「今のワセダの選手は強くて…。ついていけませんよ」と笑うが、マットの感触が気持ちよかったのだろう、今回の大会に出場する気持ちになったようだ。
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米国仕込みの実力は衰えておらず、順当に勝って高校生の時以来の表彰台の一番高いところへ上がった。大会後は、同じAカテゴリーで世界マスターズ選手権出場の経験のある勝目力也さん(神奈川・高等工科学校)や柴田寛さん(山口県体協)から、世界ベテランズ選手権出場の輪に取りこまれた(?)。奇しくも、勝目さんは岡田さんの現役時代最後の対戦相手。ここまで太い絆(きずな)があるのだから、世界へ飛び立つ可能性は高いだろう(左写真=決勝を闘う岡田さん)。
難病を乗り超えた精神力をもって、世界ベテランズ選手権を制することができるか。また、早大の近年の躍進はうれしい限り。「今年は、まずリーグ戦での2連覇を達成してもらいたいです。いずれオリンピックに出場する選手が復活してほしいですね」。今年はレスリング一色の1年になりそうだ。