※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=樋口郁夫)
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「いつも通り優勝を目指して頑張るだけです」。男子グレコローマン66kg級で全日本選手権2連覇を目指す清水博之(自衛隊=右写真)は、静かな闘志を燃やす。デフェンディング・チャンピオンではあるものの、今年の世界選手権代表ではないため、そうした気持ちはない様子。壁であるアジア大会銅メダリストの藤村義(自衛隊)は「技術も力もある。総合的に強い」という大きな存在。とはいえ昨年の大会はその藤村を破っての優勝。清水の実力もそれに近いものがあることは間違いない。
藤村がアジア大会で銅メダルを取ったことに対しては、「特に焦りはなかった。自分のやれることをやればいいと思った」と、無名の存在から全日本トップにはい上がった選手らしい感想。自分の持ち味を聞かれて、はっきりした答えを見つけ出せなかったが、ここまで成長した要因を聞かると「練習ですね」とはっきり答えた。
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自衛隊の練習では、74kg級全日本王者の鶴巻宰や、鶴巻を追う角功介、葛西直人ともスパーリングをこなす(左写真:鶴巻とスパーリングする清水=右)。無類の練習好きは、藤村へのリベンジと全日本選手権連覇へ向け、最後の練習に余念がない。
■同期生の世界選手権出場に刺激を受ける
清水は滋賀・日野高校時代にまったく成績を残せなかった状況から全日本トップにまではい上がり、この秋、国際大会でも優勝を達成した。実績がないながらも上を目指そうとする選手のお手本とも言えるレスリング人生を歩んでいる。しかし、ここで歩みを止めてしまったら、その足跡が後世に残ることはない。ちょっとした物語にはなるだろうが、勝負の世界である以上、稀に見るサクセス・ストーリーとして歴史に残ることはないだろう。
「世界選手権の代表になれなかったのは悔しかったです。同期の選手がどんどん代表になっていましたから…」。清水と同じ1985年度生まれとしては、グレコローマンだけでも松本隆太郎(60kg級)、斎川哲克(84kg級)、北村克哉(96kg級)がいて、フリースタイルにも稲葉泰弘(55kg級)と下中隆広(120kg級)が同期。結果を出している選手もいるだけに、いまだに世界選手権のマットに立てない自分がもどかしい様子だ。
今年5月の全日本選抜選手権に向けて、不利な状況があった。自衛隊員に義務づけられている教育課程を受けねばならず、1月から3月の3ヶ月間、マットを離れなければならなかったこと。初めて全日本王者となり、普通なら海外遠征で欧米の選手相手に試合と練習で手合わせしてさらに実力アップをはかる時期だ。
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前の年も全日本2位の選手として欧州遠征に参加している。しかし、2位の選手として参加するのと、全日本王者として参加するのとでは気持ち的にはまったく違う。やむをえないことだったとはいえ、ちょっぴり残念な状況だった。しかし清水は、それが藤村に連敗した理由だとは考えていない。「言い訳になっちゃいますからね。実力がなかったからです」と割り切り、前を向く。(右写真=プレーオフで藤村に敗れ、世界選手権の道を閉ざされる)
その分、4月以降は精力的に動いた。アジア選手権(タイ)に抜てきされ、全日本社会人選手権74kg級で優勝。10月のサンキスト・オープン(米国)で国際大会初優勝と結果を出した。もっとも本人には、まだ国際的な選手という自覚はない。「アジア選手権では勝てなかったし、まだ世界選手権に出たわけではない」とし、まず日本代表になることが先決と考えている。そうでなければ、2012年ロンドン五輪のマットに立てないのだから、それも当然だろう。
■学生二冠王者とオリンピアンには「意地でも負けたくない」と強調
今大会は藤村以外にも、学生二冠王者の岡本佑士(拓大)、59・60kg級で五輪3度出場の笹本睦(ALSOK)らの強豪が参戦し、かなりの激戦階級となっている。だが、清水は「2人には意地でも負けたくない」と語気を強める。
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元々、大学選手に対して並々ならぬ意地を持っていた。遠回りして苦労した末に自衛隊レスリング班に入っただけに、三顧の礼をもって大学からスカウトされた選手には「負けたくない」と口にしていた。それが2006年全日本選手権で2位躍進の原動力。この時は学生王者を破っての決勝進出だった。2008年全日本選抜選手権で優勝した時の決勝の相手も、エリート・コースを歩んでいた3歳下の岡本で(左写真)、今回も「年下の選手には負けるわけにはいかない」と言う。
笹本には、「66kg級でやってきた選手として負けたくない」ときっぱり。昨年の国体(66kg級)決勝では2-1で勝っており、「名前負けすることもありません」とのこと。「敵は藤村だけ?」という問いには、「そんなことはありません。みんな強いですから、1試合、1試合に全力で」と答えたが、見つめているのは藤村との闘いなのだろう。
今春には、女子48kg級で活躍していた坂本真喜子選手と入籍。そのことに話が及ぶと、照れて口数が少なくなりながらも、「自分だけではなく、妻の分まで頑張らないといけないという責任感が出てきました」と話す。時に体をマッサージしてくれたりするそうで、心強いサポートにもこたえたいという気持ちもある。
私生活でも力強い援軍を得た清水。雑草の意地を見せられるか。