※本記事は日本レスリング協会に掲載されていたものです。
(文=樋口郁夫、撮影=保高幸子)
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前回のドーハ大会は重量級の派遣がカットされたため、2大会ぶりの参加となった男子グレコローマン120kg級は新庄寛和(自衛隊)が1回戦でダーメンダー・ダラル(インド)に0-2で敗れ、白星を挙げることができなかった(右写真)。新庄は「メダルを目標にしていたが、自分の動きができなかった。(出られるように)支援してくれた人に申し訳ない」と、悔しさをにじませた。
試合は、3ピリオドともスタンド戦ではお互いにポイントが取れず、グラウンド勝負とへ。第3ピリオドのグラウンド戦はレフェリーのボールピックアップで新庄の攻撃へ。30秒間でポイントを上げることができず、ルールによって負けとなってしまった。
途中、クラッチを組み替えるシーンがあった。「(相手の体の)真ん中くらいを組んでしまったので、下にずらすため」だったというが、途中で攻撃し直しては時間がなくなるのが30秒間の攻撃の鉄則。「一発で自分の形に組めるようにすることが課題?」という問いに、「そうですね」とうなずいた。
■1990年代の再現を目指せ、グレコローマン最重量級
今年2月のデーブ・シュルツ国際大会(米国)で闘った相手だった。その時もスコアは同じで敗れているが、その時よりは「スタンドで動けた」という。しかしポイントにつながらないことには意味がない。「正面からの攻撃はできているので、左右からの攻撃が課題です」と話した。
「メダルを目指す」という根拠は、2008年のアジア選手権で銅メダルを取っていること。「チャンスは十分にあったと思う。2回戦で(世界3位の)カザフスタンと当たる組み合わせだったので、絶対に初戦を勝たなければならないと思っていた」という気持ちだったそうだ。他力では3位決定戦への道は残されていなかった。
イメージとして「日本は弱い」とされているグレコローマン最重量級だが、1990年代には鈴木賢一が1994年広島アジア大会で銀メダルを取り、1992年バルセロナ五輪、96年アトランタ五輪と連続出場して気をはいた階級。五輪出場が不可能なことはない。
今回の経験を生かして、どうロンドン五輪へつなげるか。2008年アジア選手権銅メダリストの爆発が待たれる。